一人でロングトーンしてるときは綺麗な音が出るのに合奏になるとロクな音にならなかった彼がソロを任されるまでになった話

昨日のnoteでも書いたのだけど僕は大学時代吹奏楽部でクラリネットを吹いていて、四年生の時にパートリーダーになりました。後輩の数は20人くらい、同期は休部中の子が1人。実質大家族の面倒を1人で見る、という状態。まあそんなの無理ゲーだったので3年生には勝手に育ってもらおうと思ったのですけど(すまんかったね)。

僕と同じように大学からクラリネットを始めて、僕が四年生の時に二年生になった男子学生がいました。ちょっと風変わりな感じでしたが真面目で熱心でひたすらロングトーンをしてた印象があります。一年生に上手な子がたくさん入ったので彼にも焦りがあったのか、ロングトーンの音は日に日に良くなっていって、ロングトーンをしている時の音だけはかなり綺麗な音が出るようになっていましたね。

だけど合奏になると彼の綺麗な音は全く聴こえない。貧弱な音がヒュルリラと鳴るだけです。なんでそうなっちゃうのか、本人にも尋ねた気がしますが、彼が何と答えたのかは忘れてしまいました。おそらく譜面を間違えないように吹くので精一杯だったんじゃないかと思います。それは僕も大学からの初心者組なのでよくわかる。クラリネットの譜面は黒い。こちとらヴァイオリンの代わりじゃねえんだよふざけんなと何度も思いましたが、吹ける人は音質はともかくパラリラと軽快に吹いているので、やれば出来るんでしょうけど、それでも初心者には辛いものがありました。

僕は吹奏楽を高校からやってたといっても高校時代は基本サボっていたし、音数の少ない楽器だったし、吹奏楽の曲から何かを学ぶとかクラシック音楽から何かを学ぶことは全くなかったですが、ロック狂だったのでロックから色んなことを学びました。

その中の一つで音楽をするうえでとても重要なこととして「表現したいという欲求があるかどうか」ということがあります。何も表現したくないなら別に楽器を持って練習して本番でオーディエンスにお披露目する必要もないし動機もないんじゃないでしょうか。シンプルに「楽器吹いてみたいな」という感じで吹奏楽部に入るのは別に悪いことではないしむしろウェルカムなのですが、活動の中に演奏会とかオーディエンスの前で演奏する機会があるなら、やはり表現欲求の有る無しは普段の練習、そして本番のクオリティの良し悪しにつながっていきます。

そんなことをロックから学んできた僕は、その彼に「パンクを聴け!」とか「ピストルズの映像を見ろ!」とか言ってたんですが、ロックが合わない人もいますし、実際彼は何も変わらなかったです。ただ僕は彼が合奏で「間違えてはいけない」と萎縮して、出せるはずの綺麗な音が出せなくなるのは、表現欲求が足りてないからだと考えていました。表現したいという思いよりも、間違えたら恥ずかしいとか、先輩に怒られるとか、そういう気持ちの方が勝っているんだろうと考えたわけです。言葉で伝えられるのであれば楽器なんて要らないんですよ。「言葉では言い表せない感情やなんかを楽器を使って伝えたい」という欲求がなかったら、別に楽器を使う理由がないんですよね。

そこで、彼自身も悩んでいたと思いますが、僕があーだこーだ言ったところで変わらないので、彼には「美術館」に通ってもらうことにしました。あんまり行ったことがないというので。美術館は、僕にとってはロックと同じで、「表現したい!」というアーティストの欲求が形となって残されている素晴らしい空間です。そこにある作品を見て、何を表現したかったのか、なぜ表現したかったのか、そういう熱量のようなものに触れてもらいたいという狙いでした。

結果的にはこれはうまくいって、彼は美術館に通うようになって、シャガールのファンになったんですけど、おそらくシャガールの作品から、表現欲求のパッションを得たのではないかと思います。

僕が大学を卒業した後、彼が四年生になったときに、彼らは演奏旅行として新潟で公演をしました。それを聴きに行ったんですけど、同じ学年にも下の学年にもおそらく彼よりパラリラ吹ける人はたくさんいたはずなのですが、なんと彼は並居るライバルを押しのけて「天国と地獄」のソロを任されていたんですね(パートリーダーでもなんでもないのに)。パラリラは相変わらず苦手みたいでテンポをかなり遅くしてのソロだったのですが、その音の綺麗なこと!そしてその中に「伝えたい」「表現したい」という想いがほとばしっていました。

これはあくまでも本人が努力した結果であって僕の美術館のススメはただのきっかけでしかないですが、仕事で色んな演奏を聴いていると、「奏者に自発的な表現欲求があるかないか」というのはすぐにわかります。表現欲求のない、ただ指揮者に合わせに行ってるだけの演奏はモノクロで、僕はそういう演奏を聴くと船酔いのような状態になって吐きそうになるので、頑張ってらっしゃるのは分かるだけに申し訳ないんですが、中座させていただくことが多いです。プロアマ問わずです。

奏者が指揮者と一緒になったうえで個人としても表現欲求にあふれていると、音に色が付きます。これだと僕も酔わずに聴くことが出来ます。

プロアマ関係なく、なにも楽器を使って表現したいものがないのであれば楽器を使って演奏会をやる必要なんてないわけで、表現するための手段として楽器を使っている、という状態の方が、ゴールが見えているだけに練習方法も工夫のしようがあるでしょうし、いいんじゃないかなあ、と思います。

自発性に欠けるモノクロの演奏を聴くたびに、僕はシャガールの彼のことを思い出すのです。

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ONSAの屋号で個人事業主として吹奏楽や管楽器打楽器を中心に、情報サイト「Wind Band Press」、楽譜出版の「Golden Hearts Publications」、セレクトショップ「WBP Plus」などクラシック音楽関連の事業を行なっています。
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