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対馬巡礼記 肆・離之譚

冥人の奇襲を受けることなく無事迎えた3日目の朝。
今日は東廻りで上県かみあがたを南下し、厳原いずはらの港を目指す。
対馬巡礼も最終日となってしまったが、残された時間で未踏の聖地を目指すべく、再び車へと乗り込むのであった。

本日の旅程
ゴーストオブツシマの地図を復習

誉れ高き浜

昨日泊まった蒙古の拠点Sloth Glampingは、泉の港にほど近い。
ゴーストオブツシマにおいて泉と言えば蒙古のボス、コトゥン・ハーンとの最終決戦が行われる地である。

現実の泉の港は、あまりにも普通の港であったため、完全にスルーしてしまっており、最終決戦の地であると後になって知ったため写真の1枚も撮っていなかったことが悔やまれる。

ストリートビューで見る泉の港

さて、そんな泉の港をスルーして向かったのが三宇田浜である。

三宇田浜は日本の渚・百選にも選出されている対馬を代表するビーチである。近くにはキャンプ場などもあり、アウトドアアクティビティの人気スポットとなっている。

波打ち際へ近づくと、水の透明度が際立つ。

前日訪れた小茂田浜には台風の影響かゴミが大量に流れ着き、無惨な姿を晒していたが、それと比べてなんと誉れ高い浜だろうか。

POINT:”誉れ”とは武士の誇り(ある行い)のことであり、ゴーストオブツシマにおける重要な要素である。

ちょうど近くに管理スタッフがいたので、許可を取った上で、最近入手したドローンを使って空撮を試みることにした。
離陸したドローンは海へ。

本当はもっと沖の岩場の方まで飛ばしたかったのだが、ビビって途中で方向を変える。沖から見るとエメラルドグリーンな海の透明度の高さが際立って見える。

私は新しい旅先の情報を仕入れるのにSNSをよく活用する。
最近はドローン空撮で取られた写真も多く、それを見て「ここの景色いいなー」と思っても、実際にはお目にかかれないアングルであることもしばしばある。

旅に出ることも難しくなっていた近年のご時世の中で、次に海外旅行に行く日のために準備しておいたものの一つがこのドローンである。
といいつつも、都心では法律の関係上、屋外で飛ばすことはほぼほぼ不可能であり、なかなか活躍の機会がなかったドローンが今回初めて日の目を見ることになり、次の旅への楽しみが増えた瞬間であった。

悠久の御神木

誉れ高い浜を後に、車は南へと進む。
次に立ち寄ったのはきんの地区である。

琴の長松寺には日本最古といわれるイチョウの木がある。

大陸から日本に伝わった初めてのイチョウと言われており、その樹齢はなんと約1500年と推定されている。
つまり、元寇の時代にはすでに対馬の地に根ざしていたということになる。

その高さは23メートルに登り、日本で二番目に大きなイチョウの木であるようだ。

この木は、ゴーストオブツシマにおいても琴のご神木として登場する。

ゴーストオブツシマでは、蒙古によって火を放たれ、無惨な姿を晒してしまっている。

なお、実際の琴のイチョウも落雷によって燃えたり、民家の火災で延焼したり、台風で主幹が折れたりと、幾度となく大きなダメージを受けている。
それでもなお、ところどころ支えの力を借りながら青々とした葉をつけている。ちょうど今時分には黄色く色づいているのではないだろうか。

千年以上の昔から対馬の歴史を見下ろして来た大イチョウは、これからもこの地で様々な変化を見守っていくのだろう。
願わくばその変化が明るく希望に満ちたものであってほしい。

友の棲家

車はさらに南下を続け、再び厳原へと向かう。
しかし、最後に友に相見あいまみえるべく、とある場所へと立ち寄った。

あそうベイパークは、様々なレジャー施設を備えた公園であり、キャンプやバーベキュー、アスレチックなどを楽しむことができる。

そしてここで飼育されているのが、対州馬たいしゅうばだ。

対州馬は、対馬を中心に飼育される日本在来種の馬である。
小柄な馬であるが、農耕や運搬など対馬の人々の暮らしを長らく支えてきた貴重な存在だ。

ゴーストオブツシマにおいて、主人公・仁にとっての馬といえばただの素早く移動できる手段を超えた存在である。

まぁ元気出せよ

どこにいても口笛一つで駆けつけ、共に戦い、ストーリー上後味の悪い展開で仁が若干落ち込んでいると小突いて元気づけてくれるなど、友達のいない仁さんに取っての大切な親友である。

つかの間の休息

なお、仁の名誉のために補足しておくと、仁は最初から友達がいなかったわけではない。
武士の友達はみな小茂田浜の戦いで討ち死にしてしまい、唯一生き残った竜三ともその後なんやかんやあるため、結果的に友達がいなくなってしまったのである。

仁から友を奪った蒙古を許してはならない

あそうベイパークでは、そんな馬に餌をあげることができる。
曜日によっては乗馬体験もできるそうだ。

高いところから落としたり、蒙古兵に突撃させたりと、これまでさんざん酷使してきた労をねぎらうべく、餌を召し上がっていただいた。

思うこと・・・弐

ゴーストオブツシマでは各地の秘湯に入ると仁さんがいろんなことを考える

対州馬を眺めながら、「誰もが一度は思い浮かびながらもスルーしている疑問」へと向かい合うことにした。

対馬つしまの”しま”はなぜ"馬"なのか? である。

古事記に対馬が登場する際には、津島と表記をされていたものが、その後現在の対馬という字に転訛したようである。

一方で、古事記以前から対馬という漢字も使われているようであり、魏志倭人伝では「對海國」となっている。

引用:対馬観光物産協会HP

結論から言ってしまえば、諸説ありはっきりとした由来は定かではないようだ。
その昔、朝鮮にあった馬韓の国に対面していたからだ、という説や、島と馬の字が似ているため、書き間違えられたことから対馬になったなどの説が見受けられる。

今となっては真相は定かではないが、有数の歴史を持つ地名ならではの謎といえるだろう。

この碧き空よ永遠に

車はいよいよ厳原の街に帰還した。

厳原の港から高速船ジェットフォイルに乗って、対馬を後にする。
つしにゃんともお別れだ。

「にゃん」のニュアンスがどの様に表現されているのか気になって翻訳にかけてみたが、残念ながら特に意識されていないようだった。

ターミナルは街からほど近く、また最近新築されたようでキレイな建物であった。

売店で、どう贔屓目に見てもコロッケパンにしか見えないホットドックを買い、食べながら船の到着を待つ。

待合スペースには時間をつぶすためのテレビが置かれていた。

寄贈者に注目

このテレビを寄贈したホマレ電業株式会社と、志村の関係性は不明であるが、時間を持て余す旅人のために娯楽を提供するという誉れ高い行いに、志村の教えは確実に現代へと受け継がれていることを感じた。

これには伯父上もニッコリ

そうしているうち、フェリーが到着した。

2階建ての上階に乗り込み、船は静かに厳原の港を後にする。

こうして対馬の美しい風景に別れを告げ、次の目的地・壱岐へと向かうのであった。


壹岐之譚につづく


最後までご覧いただきありがとうございました。
もう1話続きます。

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