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なんやかんやで逗子の人 本藤太郎

(※今回のインタビューを動画にまとめています。よろしければ、動画も合わせてご覧ください。)

逗子に生まれ、気づけば30年もの時間をこの街で過ごした。

逗子では主に〈労働〉として、逗子市民交流センターの職員として働いている。

ここでの役割は主に、映像制作や広報、web周りのテクニカルな仕事に加えて、市民活動にまつわる相談やコーディネート、時には大工仕事まで、多岐に渡る。

そして、本藤さんにはさらに幾つもの顔がある。

〈仕事〉として全国各地でカメラマン、配信技師、音響オペレーター、舞台監督にドライバーや子守りなどをこなしてきた。

また〈活動〉としては、写真作品を国内外多くのアートフェア
(KYOTOGRAPHIE、 Barcelona International Art Fairなど)で
販売したり、パフォーマンス、インスタレーション、音楽作品
などを発表したりしてきた。

〈労働〉〈仕事〉〈活動〉の3つの生活の軸を意識的に使い分けている本藤さんは、どんな環境で育ったのでしょうか。

常にどこかで音が鳴っていた

文化・芸術というものに興味を持ち始めたきっかけは、振り返ってみれば
家庭環境の影響が大きいかも知れない。

【家では常に音楽が鳴っていた。誰かがピアノを弾いていたり、ラジオや
 カーステレオからはディスコ音楽やシャンソン、クラシックなど
 多様なジャンルの音が流れている環境で育った。また、古今東西の映画の
 類も常に流れていた。】

その中でも特に好きだった作品がディズニーの《ファンタジア》だ。

この作品は1940年代にアメリカで製作された、クラシック音楽とアニメーションを融合した、史上初のステレオ音声方式による映画作品である。

生き物や植物の動きの軽やかさ、そして指先まで血が通っているかのような
繊細かつリアルな表現が印象的で、中でも水の表現が生きているようでとても美しい。

本藤さんの言葉を借りるなら「40年代とは思えないエグい動きを見せてくれる」そんな作品だ。

初めての表現活動と、うっかり

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表現活動のスタートは、14歳の時に始めたバンド活動だ。

この時から意識的に表現活動をはじめ、高校卒業までバンド活動に明け暮れていた。 

この頃はまだ芸術や美術については何も知らなかった。

そして高校卒業間近のある日、自分がうっかりしていたことに気づく。

【バンド一本でやってきて、気づいたら世界では大学受験が終わっていた。】

熱中するあまり、うっかり忘れちゃうことは良くありますよね。

ここから、一年間の浪人生活が始まった。

偶然手に取った一枚のパンフレット

浪人期間中、どこの大学へ進学するか悩んでいた時に、偶然手に取ったパンフレットが日本大学芸術学部(通称:日芸)であった。

パンフレットに目を通し、その足で書店へ向かい、大学ごとの過去の試験問題が収録された本(通称:赤本)を手に取った。

その時、この大学への進学を決心した。

【他の大学に比べて本が薄く、内容もチョロそうだった。】

決心した理由としては、他にも色々な理由があるとは思うが、確かに赤本の厚みは一つの判断基準になりうるかも知れない。

ハリーポッターに手を出せなかった、私の小学生時代を思い出して、小さく頷いた。

芸術を学ぶ

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うっかり大学受験を忘れて卒業した日から、一年の浪人を経て
日本大学芸術学部・写真学科に入学をした。
ここで初めてアート(芸術)やファインアート(美術)を体系的に勉強することになる。

大学に入学して、芸術や美術の「なんでもあり!」という懐の深さに感銘を受けた。

例えば、美術館に便器を持ち込んでみたり、張ったキャンバスを突き破ってみたりする
作品や、清掃員に扮して銀座の街を綺麗にする作品、渋谷で捕まえたネズミを剥製にする作品、中には日本列島を股間に装着して部屋の中を荒らしまわるといった作品まで、本当に幅広く色んな作品がある。

この芸術や美術の懐の深さと歴史の厚み、古今東西のアーティスト達の自由な作品にいたく感激した。

当時とにかく退屈だった本藤さんに、これらの作品は、大きな気付きとワクワクをもたらした。

そして、その「なんでもあり!」性に現在も勇気づけられ、また翻弄されている。

ただ、在学中は作家になるつもりは無く、既にゴリゴリの広告系の仕事を
していた。

しかし、大学を卒業し、苛烈な制作現場の中でふと、この様に感じたと教えてくれた。

【自分にとって製作は労働じゃないし、作品は商品じゃない。】

もしかしたら、大学受験をうっかり忘れるほど夢中になったバンド活動を通して感じた、自己表現の楽しさを思い出して、この様に感じたのかも知れない。

写真でも音楽でも、すべての瞬間に意味がある。

だから、その瞬間をモノとして消費されるよりも、受け取る人の体の中に
浸透して行くような作品を、作りたいという思いがあったのでは無いだろうか。

日芸の先輩とZAF

zafに関わり始めたころ

逗子アートフェスティバル(以下ZAF)には、立ち上げの2013年から関わっている。

しかし、立ち上げから関わっているという事実を知っている人は、少ないようだ。

【ZAFの中では基本的に暗躍していたから、意外とそれを知らない人が多いんですよ。】

これを踏まえて、自身を「ZAFの生き字引」と表現してくれた。

ZAFに関わるようになったそもそものきっかけは、2013年のアートフェスティバルに出展をした大学の先輩のサポート役として参加したことだった。

初めは、撮影や立て込み、撤収など、先輩の周りの仕事をサポートしていたが、そのうち本体の細々とした仕事も回ってくるようになった。

その後、メディアーツやナイトウェーブ(夜の海に青い光を当てることで、刻一刻と変化する波の揺らぎを可視化するインスタレーション作品)のオフィシャルカメラマン兼オペレーターとして参加するなど、2016年までは完全に裏方としてZAFに関わっていた。

一本の電話と三本の軸

大学卒業後のある日の夜、江古田で泥酔していた本藤さんのもとに一本の電話が鳴る。

その電話は「逗子文化プラザ市民交流センター」の副館長からだった。

電話の内容は【ZAFでの活躍を見ていた。欠員が出たので、まずはアルバイトとして一緒に働いてくれないか】という就職のお誘いだった。

学生時代に、はじめは先輩のサポート役として参加していたZAFが
きっかけとなり声をかけられたのだ。

この誘いをしぶしぶ受け入れ、作家でカメラマンで中間支援施設職員という
〈労働〉〈仕事〉〈活動〉の3つの生活の軸が動き出した。

作家活動と作品づくり

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2016年からは、国内外のアートフェアや地域アートに出展するなど精力的に活動を始める。

そして2017にはZAFの総合プロデューサーを務めた日芸OBの「柴田”shiba”雄一郎」からの誘いで、作家としてもZAFに参加することになる。

その年に発表した作品が毒虫プロダクション(本藤さんを中心に結成されたコレクティブ。現在は個人事業主としての屋号でもある)による《穴》という作品だ。

この作品は【如何せん救いようの無い天邪鬼な性分なので、とりあえずキラキラしたZAFに暗いものを持ち込んでみたかったんです。光線が強ければ影も濃くなるように。】という動機のもと制作された。

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天井に付くくらいの高さの壁で囲まれた、小さな空間の中にポツリと開いた「穴」そこから何が見えるのか、思わず覗きたくなる。

良く見ると、形はそのままの濃い青で染められた古着が浮遊しながら、壁を形成している。

これは、人に使い捨てられた服(消費されたモノ)を死物と捉え、その
モノの怨念がこの毒々しい空気感を作り出しているように感じた。

本人は「ここにいないもの」を扱った作品であると語っていたが、皆さんはどのように感じるだろうか。

2017年に作家としてZAFに参加するも…

2018年から2019年は家庭の事情もあり、作家としてはあまり活動していなかった。

ZAFとの関わりも、市民交流センターの職員としてサポートする程度だった。

そして2020年。日芸OBでZAFの総合プロデューサーを務めた
柴田”shiba”雄一郎から、再び声がかかり作家及びオフィシャル
アーカイブとして参加することになる。

仲本拡史との出会い

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2020年は、3年に一度のトリエンナーレ(国際美術展覧会で、少しだけ予算
をいただける)の年だった。

ZAFに初めて作家として参加した2017年も、トリエンナーレの年だった。

そして、それから3年が過ぎ、2020年にまたトリエンナーレを迎える。

しかし、この年はコロナウィルスの流行により、ZAF自体の開催も難しい
かも知れないという空気が流れていた。

ただ、本藤さんにとって疫病の蔓延に関しては避けようのない事実でしか無かったので、粛々と作品のアウトラインを書き続けていた。

そんな2020年に、本藤さんに新たなインスピレーションを与える人物に出会う。

その人物が、仲本拡史だ。(逗子でしかできないことを探究したい。
映像作家 仲本拡史さんnote

仲本さんは、映像作家として活動する傍ら、大学で現代美術を教えている。

ZAFの中では螺旋の映像祭(2021年からは「らせんの映像祭」)という企画を立ち上げ、市民に向けて映像表現の面白さを伝えるワークショップや、レクチャーを行っている人物だ。

この仲本拡史が扱う「実験映画」という、「映像」の括りの中でも「写真(コンテンポラリーアートとしての)」と距離が近しい筈なのに今まであまり意識してこなかったジャンルに触れられたことが、本藤さんに大きな気付きを与えた。

視覚表現と聴覚表現の合わさるところ

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ZAF2020では、仲本さんが立ち上げた螺旋の映像祭という企画の中で、
映像と音楽を融合させたパフォーマンス作品《annulus/obscura》を上演した。

このパフォーマンスは、ZAF2019から参加をしている、音楽家の
宮田涼介とともに作り上げた。(ミヤタリョウスケ:宮田さん記事リンク)

宮田さんは、アンビエント(環境音楽アンビエント・ミュージック )の創作を得意とする人物だ。

アンビエントの多くは、視聴者の自律神経を刺激し、優しく包みこん
でくれるような音を奏でる楽曲が多い。(森の中で木漏れ日を浴びている
ような状態に音で誘ってくれる、みたいな感じの音楽)

ZAFの中では、みんなでアートに楽曲を提供するなど、様々な表現の
個性に合わせて音を奏でることの出来る能力を活かし、色んな人たち
とコラボをしている。(みんなでアート:みんなでアート記事

そして、ZAF2020では写真家・本藤と音楽家・宮田のコラボレーションが
実現した。

二人のユニット名は「視聴覚派」である。

スリリングな作品づくり

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視聴覚派は「公開往復書簡」という、文章のやり取りを通して作品作りを行っている。

公開往復書簡では、現代の社会に対して思うことや、それぞれの考える芸術とは何かなど、様々なやりとりが書き残されている。
「螺旋の映像祭」の為の公開往復書簡.1|逗子アートフィルム|note

自分の正しさや正義感を押し付け、わかりあう事を強要してくる「中立ぶる人」

【人と人はまず最初に〈完全に分かり合う事が出来ない〉という前提の元で関係性を構築  するものだと私は考えています。そもそも人は自分のことですら完全に理解はしていない でしょう。他人ならそれは尚更ですよね。
ですから人は言葉や文字、そして芸術等を用いてなんとか〈分かり合おう〉として来たん だと思います。】(引用:「螺旋の映像祭」のための公開往復書簡.1)

「人間らしさ」という枠の中に平均化された人間の群れの作る「円環」

そして、その「円環」からあぶれた「かろうじて人間」が生み出す何か。

その何かは、腹の奥底に蓋をして溜め込んだ思いや、願いであり、それを
発散する行為が、芸術表現なのかも知れない。

【先日、「アントミル」という現象を知りました。これは餌を見つけたアリから出るフェロモンを感知した別のアリがそのアリに続いて行列を作る、という習性が産んだバグ(bug!!←)らしいんですね。

で、それがどんなバグかと言うと、行列の最後尾に先頭が接続されてしまい、延々と円環 を歩き続けて最終的に集団で死んでしまうというバグなのです。

私はそのまるで「死の舞踊-La Danse Macabre-」の様な映像を見ながら、円環の外でトボトボ歩いている数匹のアリに注目しました。

〈習性〉が正しく作動し、集団ヒステリーの如く行進しているアリ達がまさに「アリ」なのであれば、周縁で孤立しながらも足元を〈信じて〉歩いているアリ達は〈かろうじてアリ〉なのではないかと思いました。

そしてそんな〈かろうじてアリ〉達は結果として〈種としてのアリ〉を救うのではないか と思いました。】(引用:「螺旋の映像祭」のための公開往復書簡.3)

ZAF2021の作品について

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2021年も、2020年同様「公開往復書簡」を通して作品づくりを進めている。(手紙1_本藤から宮田へ|逗子アートフィルム|note

【去年は〈記憶〉だったが、今年は〈知覚〉によりフォーカスした作品を
 作ろうと考えている。

 ヒトは無意識のうちに、見るものや聞くもの取捨選択して生きている。

 そこで〈見る事〉と〈聞く事〉について考えてきた「視聴覚派」が、
 ヒトの無意識の部分をステージから刺激したいと目論んでいる。】

【2020年は、宮田さんの演奏をBGMとしてしか扱えていなかった気がする。
 なので、2021年はお互いの持っているものを、最大限に活かすことの出来る作品にしたいと思っている。】

2020年での反省を活かして、今年はどんな化学反応が見られるのか楽しみだ。

文化・芸術をもっと身近なものにしたい

学生時代の2013年から関わってきたZAFを、これからどうして行きたいかお聞きした。

【ZAFは、より良い街づくりについて考えている豊かな集まりだと思います。ただ、芸術祭という名前が付いているからには、もっと芸術や美術についても考えたり・語れたりするような場や時間があっても良いのでは無いかと感じます。】

この街づくり(アクティビズム)と、アート(クリエイション)の両輪が
もっと上手く回せるようになると、ZAFが街の中に与える影響も、大きく
なっていくと思うと教えてくれた。

アートの楽しさには、頭で想像したことを体を通して表現する「作る」楽しさと、作者が作品に込めた思いを「考える」楽しさの二つがあると思う。

海を題材にした作品を手がける松澤有子さん(松澤有子インスタレーション作品「ぼくたちのうたがきこえますか」note)の作品は、アートを「作る」楽しさに触れることのできる場だ。

そして、映像表現のレクチャーやワークショップを行う、仲本さんや本藤さんたちの作品は、アートを「考える」楽しさに触れることのできる場なのだと思う。

ZAFの魅力は、このアートを「作る」楽しさと、「考える」楽しさの両方を
体験できるところにあると思っている。

コスパのいい街、逗子

最後に、逗子の魅力と、好きな場所についてお聞きした。

【逗子の魅力は「コスパの良さ」にあると思う】

逗子には路線が二つあるし、買い物にも、さほど困らない。
自然も豊かで、イベントなどソフトの面も充実しているから、面白い人と出会うきっかけも少なくない。

温暖な環境と、誰でも受け入れてくれる心地よさが、県外から移住を
してきてくれる人や、長く住み続けている人が多い理由かも知れない。

例にもれず、本藤さんも30年という長い期間を、逗子で過ごしている。

【2年生までは大学に行くのに片道3時間かかった。それでも、逗子から通ったのは生活費と製作費を天秤にかけ、後者を取ったからで、逗子を離れる必要性が見当たらなかったから。
また、帰ってくる事によって自身の回路を切り替えることが出来たし、静かな街なので多 くの雑音が聞こえてこない事も良かった。】

このコスパの良さと、住みやすさが、逗子にアーティストが増えている
要因かも知れない。

都内にもすぐ行けるし、外を歩けば綺麗な海や夕日が見え、鳥や虫たちの鳴き声が聞こえてくる。

余計な情報を押し付けてこない落ち着いた環境だからこそ、雑音に悩まされることなく、創作に専念できるのかも知れない。

本藤太郎の好きな場所

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【夜の海が好きですね。
 朝や昼と全く違う姿の海景が好きです。音も光も何もかも飲み込んで
 しまう様な夜の海の黒に惹かれます。】

何も考えずにいられる場所があるのも、逗子の魅力のひとつだ。

また、職場である市民交流センターも誰かの好きな場所になればと思い、入社以来コツコツと環境の整備をしている。

【元々は、劇場かミュージアムの様な文化施設で働きたくて、学芸員の資格も取得していました。
だから、いかにも公共施設然としていた交流センターを、まず変えたかったんです。その為に、まずは清潔さが大事だと思い、館内のフォントを統一したり什器を作り直したりしました。また、YouTubeチャンネルを開設し、映像を活用した覗き見が出来る様なコミュニケーションも試みています。
そうすることによって、様々な人が行き交う豊かな場所になると考えたんです。
硝子とコンクリートで出来ている逗子文化プラザはそもそも建築がとても美しいんですよ。
 
コロナ禍がいつか収まったら是非ふらりと遊びに来てくださいね。あなたを歓迎します。】

自分の手の届く範囲から変えていき、現在ではZAFを通じて、逗子を
より住みやすく、外からも魅力的に見える街に作り変えようとしている。

個人
web https://www.yesifeelsad.com/
instagram https://www.instagram.com/taromotofuji/

交流センター紹介動画
YouTube https://www.youtube.com/watch?v=uXqqr6I2m2w&t=215s

ghost note
開催 :2021年12月4日(土)
​時間:17:30 - 18:00
開催地:逗子文化プラザホール さざなみホール
料金:無料
予約:https://sff2021.peatix.com/ (パフォーマンス①)
​住所:神奈川県逗子市逗子4丁目2−10
アクセス:京浜急行「逗子・葉山」駅より徒歩2分/ JR 「逗子」駅より徒歩5分

インタビュアー/ライティング:中島理仁
撮影:嶺隼樹





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