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子育て地獄を経て、好きな仕事を見つけた私

子育て地獄を経て、私は在宅でWebライターをしている。

記事執筆の仕事やSNSの運用代行の仕事を在宅で受注しているのだ。

・活字に携わることが好きだったから
・子育てしながら在宅で働けるから

端的に言うと、この2点の理由からWebライターを志した。

しかし私は、ライターという仕事に行きつくまでに、死にたくなるほどの

「人生最大の挫折」

を経験している。

それは「子育て」だ。

絶望しかない子育ての壁にぶち当たったこと、そこから仕事をし始めたことを記録に残したいと思い、執筆する。


順風満帆だった学生時代と社会人時代

小学校は思う存分遊び、中学校は部活と勉強の両立に励んで、大変ながらも充実した日々だった。

高校は半分以上の生徒が国公立大に進学するので、授業の進度が早かった。

学力が伸びず、一般受験が厳しそうだったので推薦志望に変えた。

公募推薦で第一志望の大学に入学できた。

大学はバイト三昧だったが、しっかり単位は取得し、恋愛も楽しんだ(最終的によく振られたけれど)。

就職は第一志望の内定をもらい入社できた。

目標達成のためにゴールを見据えて分析し、戦略を立て、努力すれば実を結ぶ。

冷静に自分の実力や強みを把握し、着実に結果を出す方法を考えてきた。

仕事では、社内での円滑なコミュニケーションやマニュアルなどを改善したり、部内での一番の成績を上げたり、成果を残したと思う。

感謝されたり、退職を惜しまれたり(何人か号泣するほど)した。

気難しい部長に、
「いつでも戻っておいで」
と言われたことも嬉しかった(すぐにその人は退職したけれど)。

子育てへの希望と理想の母親像

退職した時は仕事をやりきった達成感で溢れており、出産後の子育てが楽しみでしょうがなかった。

日に日に大きくなるお腹が誇らしく、まだ生まれていない我が子が愛おしくてたまらなかった。

「この子のために生きていくんだ」

という希望と決意に満ちていた。

これから生まれる我が子のことで頭がいっぱいになり、退職しても仕事がなくなること、これからのキャリアついて、少しも不安はなかった。

出産後は子育てに専念するのが美徳だと思っていたので、専業主婦一択。

子育ては人生で一番の楽しみ
なにより子どものことを優先すべき

という母の言葉を妄信していた。

母は、
子育てをすることで大人として一人前になり、子育てこそ女の最大の幸せ
という考え方だった。

教育というのは一種の洗脳のような要素があり、私は母の考えをそのまま頭の中にコピペして育ってきた。

そして、
「きっと私なら、上手に子育てできるはず」
となぜか根拠のない自信があった。

大変なことや苦労はそれなりにしてきたが、ここまでは割とうまくいっていたせいかもしれない。

私が人生最大の壁にぶち当たったのは、妹がグレた時でも、両親が離婚しそうな時でも、受験勉強でも仕事でも、ない。

「子育て」は絶望的に大きな壁で、永遠かと思える地獄だった。

何気ない一言に傷つく

私には7歳の男の子と4歳の女の子がいる。

息子の乳幼児期は、文字通り、地獄だった。

息子はとにかく寝ない子で、食が細く、手がかかった。
夜は2時間ごとの授乳、吐き戻しも頻繁、毎日の夜泣きと安息できる日はなかった。

横になると抱いている息子が吐くような気がして、壁にもたれかかって息子を抱えながら寝るのが習慣に。
離乳食が始まっても食が細くて食べず苦労した。

体重もなかなか増えない。
「小さいね」
「やせてるね」
と言われると心臓がぎゅっとして、息子に申し訳ない気持ちになった。

爪を切るのを忘れて、息子の顔が引っかき傷で出血した時、
「かわいそうに」
と言われて、なんて自分はだめな母親なんだと思った。

何かを言われるたびに、身が縮こまり、自分のすべてを否定されているような気分になった。

努力を踏みにじられたような気持ち

離乳食期になり、こだわって手作りしても息子はほとんど食べなかった。

本やネットの情報から、試行錯誤で離乳食をせっせと作る毎日。

でも、息子は離乳食を出しても手で握りつぶし、壁や床に投げつけた。
壁や床が汚れるたび、努力を踏みにじられたようなみじめな気持ちになる。

痛めつけられた離乳食の残骸を見るたびに、私の自己肯定感は下がっていった。

寝不足の日々が続き食欲がなくなり、私は子どもの世話しかできなくなった。
部屋は散らかり放題、夕食の準備もろくにできない。

「なんで家にいるのにこんなに家事ができないんだろう」
「なんでもっと子どもの世話が上手にできないんだろう」

できない自分が許せない

夫は
「お惣菜でも買ってくるよ」
「無理しないで」

と言うタイプだったが、思うようにできない鬱憤が貯まっていき、自分を責めた。

できない自分が許せなかった。
こんなに自分が努力をしても、実を結ばないのは初めてだった。

今まで目標にむけて戦略を立てて、着実に努力を積み重ねて、目標達成してきたのに。

自分に嫌気がさして、自分の存在価値なんてゴミに等しいくらいに思うようになった。

夜中から明け方まで夜泣きでぐずっている子どもを抱いていると、この世には私と息子しかいない気持ちになり、孤独に押しつぶされそうになった。

子どもを抱きながら、一緒に泣いたのは一度や二度ではない。

声を押し殺して毎日のように泣いた。

「隕石が衝突して、この世が終わればいいのに」

と願った。

朝起きると

「また一日が始まるのか、始まらなければいいのに」

と腫れたまぶたをこすりながら、太陽を憎んだ。

理想に縛られた地獄

「子育てがこんなに難しくしんどくて、孤独だったなんて、どうして知らなかったんだろう?」

「どうやって世の中のお母さんたちは上手に子育てしているんだろう?」

「どうして自分はうまくできないんだろう」

人に頼られるのは好きなくせに、人には頼れない私は、とことん子育てが下手くそだった。

自分の弱さを見せるのも苦手。
できないことがあるのも許せない、プライドの高さ。

加えて
「いい母親は子どもを優先すべき」
「母親は育児に専念すべき」

というイメージに縛られ、できない自分とのギャップに苦しんだ。

仕事では成果を出し、評価され、感謝されていたのに。
子育てでは努力しても実を結ばないし、当たり前のことと捉えられて、少しも褒められない。
感謝もされない。

何を糧に頑張ればいいのか分からない。
子育てが楽しいなんて大嘘だ。

かわいいはずの我が子が、悪魔に見えた。
全然かわいいと思えない。

疲れ切っているのに、悩んで寝れない日々が続いた。

布団にはいって目をつぶると、頭の中に言葉が無限に湧いてくる。
ぐるぐると意味のある言葉、意味のない言葉が目まぐるしくまわっている。

頭の中で誰かがずっとしゃべっている。

寝れない乳児期のあとは夜泣きとイヤイヤ期で、地獄は2年半ほど続いた。

救急搬送されたのが転機

そんな日々が続いて、ついに過呼吸で救急搬送された。

過呼吸を知らなかったので、心臓の発作かと思って仕事中の夫に救急車要請を頼んだ。

経験したことのない苦しさだったので死ぬと思った。
運ばれた病院で目が覚めた。

天井を見つめてこう思った。

「私、このままじゃ、だめだ」

自分を見つめ直す

救急搬送事件の後、子どもがまとまって寝るようになり、少し楽になった。

本屋さんで気分転換にと、ファッション雑誌を一冊買ってみる。

雑誌を開くと、夢のように鮮やかで、華やかな世界が広がっていた。

見ているだけで心が晴れやかに、明るくなる。

一冊読み終わるころには、自分の世界は広がって色づいた。

同時に、自分を変えたいと思い、好きだったことや趣味を少しずつ始めようと思った。

小さいころから本が好きで、活字中毒だった。
文章を書くのがうまいって褒められたっけ。

人の役に立ったり、感謝されたりするのがたまらなくうれしかった。
仕事が好きだったし、誇りを持って働いていた。

出産後は人生がガラリと変わって「自分」をどこかに置いてきた。

子育てしかしていない自分は、なんだか物足りない。

それは当然だと思っていたが、
「母親でも、自分の好きなことをしてもいいんじゃない?」

「いい母親じゃなくても、子どもと笑っていられればそれでいいんじゃない?」

と次第に考えるようになった。

「理想の母親像」を捨てた。

肩の力が抜けて、心が軽くなった。
こんな簡単なことで楽になれたことに驚いた。

ライティングとの出会い

子供がある程度大きくなると、まわりの友人が仕事をするようになった。

「私も仕事がしたい」
「でも子どもの世話もしないといけない」

私たち夫婦の両親はどちらも遠方に住んでおり、子どもをみてもらうことはできない。
一時保育を利用しようにも遠い。

家でできる「ライティング」という仕事があることを知った。

文章を書くことは好きだし、子どもの世話をしながらできる。
自分に合っていそうな気がした。

ライターとして働き始める

クラウドソーシングサイトで、自分の経歴を登録し、仕事を受けるようになった。

最初は映画の感想などから始め、商品レビューや、観光系の記事、教育関連の記事など幅広く挑戦した。

その後、SNS運用代行のライターとして仕事もできるようになった。

ボロクソに修正されたり、不採用だったこともあるけれど、繰り返し依頼してくれるクライアントもいた。
必要とされることが、誰かの役に立つことがうれしかった。

私は存在していいんだって思えた。

記事を納品して、報酬をもらった時の喜びは格別だった。
専業主婦で収入がなかったので、久々に自分でお金を稼げたという大きな達成感。

家で働けるし、何より楽しい。
人の役に立てることがうれしい。

失っていた自分が蘇った気がする。
やっぱり、社会とつながることは大事。

自分が好きなことをするのは大事。

子育て地獄を乗り越えて

過去の私のように、子育て地獄真っ最中の人も多いだろう。
私自身、まだまだ子育ては続くので、今後さらなる地獄が待っているかもしれない。

しかし、分かったことがある。

自分が好きなことをするのは大事

ということだ。

簡単すぎて、「えっそんなこと?」と思う人もいるだろう。
でも、子育て地獄真っ最中の私は分からなかった。
子育て以外のことはしてはいけないと思っていた。

理想の母親像にしばられ、できない自分を責め、否定ばかりしていた。
続けていたら、子どもにもあるべき姿などを押し付けていたかもしれない。

また、世間や昔から言われている「いい母親」になる必要はない。
子どもは「いい母親」を別に望んでいないからだ。
子どもをまっすぐに見つめ、一緒に笑い合える関係であれば、十分だ。

ごはんなんて丁寧に作らなくても、そのうちバカ食いするようになる。
少々のケガをしても、子どもはすぐ治る。

子育て中は、子ども優先で、自分のことは後回しになってしまいがち。

自分の気持ちや、やりたいことを我慢していると、何らかの形で絶対にしわ寄せがくる。

好きなことをするってシンプルで簡単。
好きなことすると楽しい。
楽しいと余裕ができて、人に優しくおおらかになれる。

自分の気持ちを、尊重するのは大事。

もし子育て中で過去の私のように苦しんでいる人がいたら、
「自分の好きなこと」
をぜひしてほしい。

仕事がしたいけど迷っている人はぜひしてほしい。
子育て中でも、きっとできる。

「好きなこと」は、あなたをきっと強くする。

一個人としての取り留めのない体験談だけど、苦しんでいる人の心が軽くなることを願って。















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