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作文 僕とスポーツ

子供の頃、私はスポーツが大嫌いだった。
なにひとつよい思い出がない。

体育の授業も運動会も、放課後や昼休みにやるソフトボールもあらゆることが面白くなかった。

恐怖のスポーツ少年団

私の幼少時代は福島県にある小さな町が舞台だった。
村といってもいいくらいの小さな町。

地方に住んだ経験がある人は想像しやすいと思うけれど
田舎はなにせ、画一的である。

男の子は放課後はソフトボール、みたいな暗黙の掟があり
自分も最初はそのレールに乗せられた。

「スポーツ少年団」っていうボーイスカウトくずしのようなグループがあって。

この団は、参加する少年たちもさることながら、
保護者も指導者として参加して運営をする仕組みになっていて
ソフトボールの練習やバーベキューみたいなレクリエーションとかをみんなで回していく感じ。
私の父も指導員のひとりだった。(父についてはあとでまた)

強制ではないけれど加入して当然だよね?みたいな圧があった。
学校が終わると、練習。休日も練習。ソフトボール一択で。

そして、私はチームプレイが求められるスポーツがとても苦手で上手にできなかった。
変なミスをしょっちゅうして、コーチや他の団員から怒られる。

今じゃ考えられないかもだけど、かろうじて手が出た世代なんで。
ミスると、叱責や叩かれることが当然のようにあった。

責められると、責められないようにしようと変に力が入ってしまってますます失敗しやすくなってしまう。
そしてまた、怒られたり、笑われたりするというループが繰り返されていく。

全然楽しくないわけ。

好きでもない練習なんてやってられない。苦痛でしかない。
当然のようにサボるようになった。

ところがサボりを続けていると、
放課後や休日に家まで親切にも迎えに来てくれる子供たちが現れる。
「あなたのためを思って」みたいな外面で。

これもまた、たまらなく嫌だった。

サボる私は「悪」であり、その 悪を正す自分たちは「正義」みたいな感じで
我が家にドカドカとやってきて練習に連れていこうとする子供たち。

そんなわけで、僕がスポーツを嫌いになったのは間違いなく、幼少期に所属していたスポーツ少年団とそれを支える周囲のカルチャーのせい。
男の子は皆、スポーツを軸として心身を鍛えていくことで充実し成長していくべし、というカルチャーが根付いていて辛かった。

自分はアニメを見たり、本を読んで過ごすのが好きで
学校が終わったら、そういうことに時間を充てたかった。
白球など追っている場合ではないのだ。

スポーツ少年団は小学校5年生になるときに脱退した。
学年が28人という小さな学校で、そのうち男子が16人くらい。
スポーツ少年団に入っていなかったのは私を含めて2名である。

正直、浮いた。孤立した。
親は心中、悲しんでいたのかもしれない。

それでも私は子供なりの自由を勝ち得て、5年生からはより好きなことに取り組めるようになった。
以後、私は声優になりたいと思い、演劇に興味を持ちそっち方面に進んでいくのだが、それはまた別の機会にでも。

父の憂いとチームワークと


父は私とは全くの正反対で、スポーツマンだった。

スポーツ少年団の指導員もしていたし、
町の駅伝大会なんかがあれば当然のように参加して区間賞とかもらってたタイプ。
野球は巨人ファンで、仕事から帰ればナイター中継を見ながらご飯を食べる。

繰り返すけれど、本当に正反対で。
ある日、ガツンと言われたひとことがあって。

「そんなんじゃ、誰からも相手にされなくなるぞ」

これはもうずっと、今でも頭の中に深く刻みこまれている言葉だ。
言葉の力ってすごい。物理的に殴られるよりもダメージを受けた。

小学校5年生を迎えるときに、僕はスポーツ少年団を脱退してマイペースに過ごすことが多くなった。
そんな中、我が子のマイペースぶりを見るにみかねて噴出した言葉だったのだろう。

何を言いたかったのかはよくわかっている。
私はチームプレイが(今でも)とても苦手。

今は、それもまた個性のひとつだと思えるし、その個性の延長上で自分を活かしていけばいいと思えているが
当時はそんなふうに大きく構えてみることなどできはしなかった。
親もそうなら先生もそうだし、クラスメートもチームプレイ必須なカルチャーなわけ。

激しく自己否定された気分で。
なんだか行き場がなかった。大袈裟かもしれないけど。

でも、今冷静に振り返ってみれば、親としてはそうした自分のマイペースぶりが心配で心配で仕方がなかったのだろう。
これからこいつは本当に大丈夫なのかと。そう思う気持ちもわかる。

そんな私ですが、なんとか他の人たちとの距離感をほどよく取って、なんとかやれています。
今の私があるのはあなたの言葉があったからかもしれません。感謝します。

話が逸れた!

自他共に認めるスポーツマンの父があって、それとは対称的なその子供がいて
なんだか漫画やドラマの安っちい設定のようだが
それがまた一層、私のスポーツ嫌いに拍車をかけていたのであった。

でも、今思えばそうしたスポーツに対する嫌悪感とか劣等感みたいのがバネになり当時は演劇とかに打ち込んでそっち方面で存在感がそれなりに出て、居場所みたいなのはできたし。

今もTech系のクリエイターとしての活動の原点はそうしたスポーチに対する反動からきている部分もあるだろうし、幼少期のスポーツ嫌いという背景は実は満更悪いことでもないのかなとも思っている。

40歳の僕とスポーツ

これを書いている今、私は40歳。私が小学生の頃の親と同じ年代だ。

今の私とスポーツはどうか?

実は、私とスポーツとの間は改善され、よい関係になりつつある。

私はスポーツをプレイまではしないが、何かの映画をみているような感じで楽しんで接することができるようになった。
試合を見ていて面白いじゃないか、と思えるところが出てきた。

まず、スポーツマンシップに尊さを感じるように変わった。

世の中は何かと不条理なことが多くて、失望してしまうことも度々だ。

そんな中、スポーツの試合が行われているその瞬間だけはルールが平等にあって、真摯なプレイと真正面からのプレイヤーの思いとかが交錯して
毒が少ない世界が人の手で作り出されていることに強く尊さを感じるのだ。

もちろん、スポーツの世界であってもいろいろと邪悪なものはあるだろうが、それでも試合中の時間は他の現実よりは遥かにマシに見える。
試合をずっと見ていることはないが、ニュースやたまたま何かの試合中継が流れていて、それを見ると尊いと思い、大袈裟にいうと活力のようなものを貰えている気がしている。

次に、選手のストーリーを知るのが好きになった。

この選手がそのスポーツをやるようになった経緯や今の課題、悩んでいることなどを知ると応援したくなるのだ。
テレビや雑誌でその選手についてのドキュメンタリーや解説を見てからスポーツを見ると
試合からだけではわからない情報が頭の中にあるから、映画を見ているような気持ちになってとても感情移入ができる。
そうした状態で、勝ち負けが決まって、こちらも一喜一憂できる。

面白いのは、映画やドラマみたいに筋書きが完全に決まっていないこともある。
その瞬間、瞬間の結果が積み重なってオチがつくのはスポーツの特徴的で面白いところだと思う。

では、あの頃の自分はスポーツの何が嫌いだったのか?

それは「価値観の一方的な押し付け」であったり「やらされ感」であったり
「同調圧力」のようなものがスポーツによる地域社会の交流の場に入り混じっていたことだ。

参加することや、スポーツをプレイすることに何らかの強制力が働くことが気にいらなかったのだ。

自分はそれが嫌いでたまらなかったのだ。
こうしたものは今でも大嫌いだ。

だから、本当はスポーツそのものは嫌いではなかったといえる。
たまたま自分はスポーツであっただけで、それは音楽かもしれなかったし料理であったかもしれないのだ。

40歳の今頃になって、ようやくそんなことがわかってきた。
過去の自分と向き合い、この文章を書いていく過程で出てきた答えだ。

「そんなんじゃ、誰からも相手にされなくなるぞ」

この助言で我が父が期待していたことは、ある程度は集団へ迎合することなんだろうと思う。

スポーツ少年団であれば、たとえ自分が望んでいないとしても
一定の割合で参加をして適当にみんなとつながっているような状態。
それを維持しろということ。

自分は異なるアプローチを取りたい。

まず、自分がやりたいことありき。
今でいえば、アプリケーションを自分で作り人々に使ってもらうことだ。

そこから枝葉を伸ばしていって、その先に人とつながれる何かがあればそれでよし。
大人の今なら子供のときと違って大分やりやすいことだろう。

この考え方に至るまでにとても時間がかかった。
本当にようやく、ひとつのマラソンが終わったかのようだ。
自分とスポーツについてのこれまでの関わりにひと区切りがつき、自分の新時代が到来したのだ。

あのときの父の憂いも懐にしまいつつ、自分流の道を進むのみである。

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Webサービスやアプリの開発と運営を生業にしています。 1979年生まれの男でA型です。 noteでは生業の話ではなく自分から浮かんできた思いやアイデアなどを徒然に不定期で書いていく予定です。 Twitterは@z_ohnamiでやっています。フォローしてくれるとうれしいです!