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「深海」再考〜なぜMr.Childrenは海に潜ったのか?〜

ミスチル現象とまで呼ばれた90年代半ばのMr.Childrenをリアルタイムで体験していない、いわば後追い世代のリスナーとしてはディスコグラフィーの中で異様な存在感を放つアルバム「深海」が現在のMr.Childrenと地続きであることを忘れてしまう。
邦楽におけるコンセプトアルバムの名盤と呼ばれる本作だが、レコード大賞を受賞するなどJ-POPのメインストリームを歩み出した彼らが、なぜこのような実験的な作品を制作することになったのだろうか?

「深海」への萌芽

遡ると「深海」につながる萌芽は5thシングル「innocent world」の制作時にはすでに芽吹いていたようだ。Mr.Children初の100万枚セールスを記録した4thシングル「CROSS ROAD」までは恋愛感情を描写した王道J-POP作品がほとんどを占めていた彼らだが、「innocent world」から徐々に様子が変わってくる。プロデューサーの小林武史の助言により、それまでの恋愛観的な歌詞世界から内省的で社会風刺的な歌詞世界に変転をみせた「innocent world」。同シングルのプロモーションカセットに収録された「花はどこへ行った」はピート・シーガー「WHERE HAVE ALL THE FLOWERS GONE」のカバーであるが、ギターの田原健一により日本語訳された本作は社会風刺の強い訳詞となっていてる。これらの状況を鑑みると、すでに「innocent world」がリリースされる時点では、「深海」にも通じる社会風刺を取り入れた内省的なテーマを扱い始めていたことがわかる。

「innocent world」の3ヶ月後にリリースされる4thアルバム「Atomic Heart」では全12曲中2曲のインストゥルメンタル曲が収録されており、いずれも次曲へのブリッジとして使用されている。この手法は「深海」における「Dive」や「臨時ニュース」でも用いられており、「Atomic Heart」が制作される時点で「深海」で大きく実を結ぶアルバム全体の流れをコントロールしようという意思が垣間見えてくる。ミスチルファンであるための踏み絵とまで言われた「深海」。実は突然変異によって突如現れた作品ではなく、着々と変容した作風が「深海」でいよいよ結実したという見方が正確であろう。そして、筆者は「深海」の翌年にリリースされる「BOLERO」が彼らの目指す最終的な終着地であったのではないかと考える。「深海」でみせたコンセプトアルバムというフォーマットではなく、「BOLERO」のような多面的でカラフルなアルバムこそ、当時のMr.Childrenが見せたかった世界ではなかろうか。

「深海」と「BOLERO」の入れ子構造

当時「深海」と「BOLERO」は2枚組で発売されるといわれており、桜井和寿いわく「深海」は「BOLERO」の一部であると語っている。筆者はこの事実から「深海」と「BOLERO」は入れ子構造になっている(しようとした)のではないかと想像する。急激な環境の変化により自殺をほのめかすほど追い詰められていた彼らの精神状況が「深海」における後退的な雰囲気をより一層深めてしまったため、「深海」の存在が大きくなりすぎ、当初計画していた「深海」と「BOLERO」のバランスが崩れ、最終的には完璧な入れ子構造が完成しないまま対となる「BOLERO」がリリースされてしまったのではないだろうか。これはBOLEROのリリース及びREGRESS OR PROGRESSツアー終了をもって活動休止を決めていたが故の時間的な制約から生じた結果である可能性が高い。「深海」を受けきれるほどの強度がないまま、「Tomorrow never knows」や「シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜」を収録したベスト盤的な要素をはらんだ作品としてリリースされ、「深海」と「BOLERO」の入れ子構造は不完全なままとなってしまったように思える。

「深海」のリリース後に開催されたライブツアー 「REGRESS OR PROGRESS」はOUT OF DEEP SEA(深海からの脱出)がコンセプトに据えられ、「深海」にとどまらないことが示唆されている。これは1曲目「Dive」で海に飛び込み、最終曲「深海」で海面に浮上する構成と符号する。「深海」を救いのない終焉とせず、しっかり「BOLERO」への手綱を渡していたのだ。バレエ曲「BOLERO」は2つのメロディーが繰り返されるのが特徴だが、「深海」と「BOLERO」の連作でも、内向きのエネルギー(深海)と外向きのエネルギー(BOLERO)が交互に訪れる自然の摂理を表現したかったのではないかと思えてならない。


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