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忙しい人のための哲学「言葉」について

【自己紹介】

必要最低限のアルバイトをしながら、それ以外の時間を読書に費やし、中央公論社『世界の名著』シリーズを30巻以上読んだ僕が、そんな余暇を取れない人々に向けてわかりやすく哲学・思想について語ります。

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【言葉について】(原始時代)

人間が文明 (Civilization) と呼ばれる、非動物的な社会をつくるようになったのは約5000年前 = BC3000年頃と言われてます。
このころ既に話し言葉は使われていましたが、物に刻んだりする文字・書き言葉が一般的に使われるのはもう少し先だと考えられています。

言葉というのはそもそもなんなのか。
他の動物も声で感情や情報を伝え合うことはできます。
チンパンジーは驚き、不安、食事、など30種類以上の状況に応じた声を使い分けます。(※1)
イルカやクジラも鳴き声の使い分けに秀でていて、「名前」を呼びあっているという研究結果もあります。

ヒトが使う言葉も、最初は状況や感情によって使い分けられていた「鳴き声」のようなものが、音の並びや高低によってより細密に情報を表すようになったものかもしれません。

野性生活の中で、ある動物を「シカ」と呼び、ある動物を「トラ」と呼ぶようにすれば、仲間にその音声で呼びかけるだけで、適切な行動を取ることができる。
また場所や道を説明するときにも、目印になるものに「イワ」とか「カワ」とか呼び名を決めておけば簡単です。

もし言葉がなかったとしたら、
シカだかトラだかをそれぞれのヒトが自分の目で見るまでは、そこにいるのがなんなのかわかりようがない。
離れた場所に向かうためには、一緒にてくてく歩いていかなければいけない。

僕は、原始的なヒトはそんな風に言葉を使って日々を生き延びていたんじゃないかと想像しています。

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【言葉について】(古代~現代)

現代では、数字など観念的なものやら文法やら、より複雑で緻密な言葉の使い分けがされています。
そもそも頭の中でなにかを考えるとき、多くのヒトは言葉を繋げることによって思考しています。

もし言葉を知らなかったら「考える」こともないのか?
僕らはどうして言葉によって同じものを思い浮かべられるんだ?

そういった疑問にひとつの仮説を立てたのが、BC400年頃のギリシャの哲学者、ソクラテス・プラトンです。
ソクラテスは今で言う活動家で、いろいろな人に議論を吹っかけて最後には「反国家活動だ」と政府に処刑されてしまいました。
その彼の活動を書記あるいは広報として記録したのが弟子のプラトンです。

ソクラテス・プラトンによれば、僕たちが言葉によって同じものを思い浮かべられるのは、「言葉の源」をみんなが知っているからだということになります。

これは当たり前の話で、
たとえば「シカ」を見たことがあって、それを「シカ」と呼ぶことを知っている人々の間では、「シカ」という言葉で同じものを思い浮かべることができます。

しかしソクラテス・プラトンは更に一歩先のことを考えます。

じゃあ「違う」とか「正しい」とか「良い / 悪い」といった言葉についてはどうだ?

たとえば僕らは「シカ」と「ウマ」は「違う」ということを知っています。
シカもウマも見たことがあるから、同じものを思い浮かべることができます。
でも「違う」はどうでしょう。「違う」の源を僕らは見たことがあるでしょうか?
見たことがないなら、なぜ「違う」という言葉を僕らは同じ意味で使うことができるんでしょうか?

この疑問に対して、ソクラテス・プラトンがたてた仮説が、

「違う」とか「正しい」とかの言葉の源を、僕らはみんな産まれてくる前にどこかで得てきたんだ、だからみんな「違う」の意味を知ってるんだ

というものでした。
これはイデア論と呼ばれているとても重要な仮説で、500年後くらいに出てくるキリスト教 (Christianity) の考え方にもつながっているところがあります。

つまり赤ちゃんとして産まれてくる前には既に、僕らはあらゆる「言葉の源」を知っているんだと。
それは肉体が産まれるずっと前から存在しているんだという考え方です。

ここまでくると「なんだ"魂"みたいなもんか」と思う人もいるかもしれませんが、西洋の"Soul"と、日本の仏教の"魂"にはいくつか大きな違いがあります。
その違いを無視してしまうと、それ以降の西洋哲学についていけなくなってしまうので、ここでは「魂」とは全然違う、新しいものとして捉えていただく必要があります。

とはいえ似てるのは事実で、実際ソクラテス・プラトンは「生前の世界があるならば、死後の世界もあるはずだ」といったことも言っています。

重要な違いは、
・Soulはあらゆる知識の源になるもの
・Soulは動物にはない = つまり人間のような"考える生き物"にしかない
といった考え方です。(※2)

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※1: 松沢哲郎『想像するちからーチンパンジーが教えてくれた人間の心』
(なお群れが変わると、使い分ける鳴き声の種類が変わることがあるため、文化的な要素があるのだろうとしている)

※2: ソクラテス・プラトンは「Soulが動物にない」とは言っていません。ただその後の思想的展開の中で、動物と人間を分けるポイントがSoulや考えることの有無だと考えられたことが重要になるので、違いとして明記しました。

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【今回のオススメ書物】

もしプラトンを読むとしたら『パイドン』をオススメします。
これはソクラテスが死刑執行前に友人とした会話だとされていて、基本的に疑心家で証明できないものについては断定しなかったソクラテスが、ここでは「死後の世界」という証明不可能なものについて断定するような語り方をしています。

これは僕の妄想ですが、このときソクラテスが語ったのは「理屈」じゃなくて「希望」だったんじゃないかと思ってます。
死刑を前にしたソクラテスは「Soulがある、知識の源がある」というそれまで自分が組み上げてきた理屈の総括をするのと同時に「生前・死後の世界がある」という希望をも語っていたんじゃないかと。

そのときのソクラテスの心情を妄想するといたたまれないというか。。。
そうして彼は最後は牢屋の中で、差し出された毒を自ら飲み、絶命します。

最期まで弟子たちに「私は死ぬけれど、知識・考える源はSoulが持っている、だから肉体が滅びても、知識・考えは滅びないのだ」という思想を伝え、その思想に恥じずに死に向き合ったソクラテスの姿は、知を愛する哲学者 (Philosopher) の姿として一読の価値はあるのではないかと思います。

そしてその知識・考えが、ソクラテスの想像したかたちとは違っていたけれど、書物というかたちで今この2500年後まで生き残っているという事実を踏まえると。。。もう泣いちゃう。ありがとうソクラテス。仮説はいろいろ間違っていたけどその生き様は忘れません。

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