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働くってなんだろうか

働くって、そもそもなんなのだろうか。

日本では、大人になったら働かなきゃいけない、という風潮が根強い。
僕自身も、ある程度そういうふうに思ってる。

その理由はいくつかあると思うけど、
一つは生きていくため。

働いてお金を稼がないと、
生きていけない。

一部の資産家の家系とかなら話は別かもしれない。

土地があって、建物があって、会社があって、
生まれた時から死ぬまで、
何にもしなくてもお金がじゃぶじゃぶ口座に入ってきて、
何不自由しないどころか、
一生懸命働いている人よりも、
金銭的にはさらに豊かな生活をする。

そういう人だって、
きっと世の中には存在する。

だけど、
世の中の大部分の人はそうじゃない。

働いてお金を稼がないと、
生きていくことができない。

いや、
ちょっとまて。

それは本当だろうか?

世の中には、
お金がなくても生きている人がいる。

例えば、
ホームレスの人がそう。
(ここから先の話は失礼を承知で)

あの人たちは、
お金がない。
(持っている人もいるそうだけど)

そして、
ゴミを漁ったりして、
廃棄の食料などで食いつないでいる。

そういう人たちは、
死んでしまっているのかというと、
決してそういうわけではない。
暦として生きている。

だけど世の中の多くの人は、
お金がないと生きていけない、と言う。

それはきっと言い換えれば、
「お金がないと、社会的、文化的な生活ができない」
ということを意味しているのだと思う。

日本国憲法でも、
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」
と書かれている。

それだけ人間にとって、
文化的、社会的な生活を送ることができる、
ということは、大事なこと。

もしかしたら、
生きる死ぬということうよりも、
文化的、社会的である、ということの方が大事なんだと、
無意識に捉えているのかもしれない。

それが
「お金がないと生きていけない」
という言葉にも表れているのではないだろうか?

そして、
「働く」
ということ自体にも、
文化的、社会的な機能性という意味合いが
きっと含まれているのではないか、とも思う。

十分な資産があり、
それ以上労働しなくてもなんの問題もなく生活できる人であっても、
何かを仕事にしていることも多い。

人はきっと、
人との関わり合いの中で、
自分が生きているということを
実感できるのだと思う。

そして、
それを最も実感できるのは、
誰かの喜びに触れた時、
誰かの役に立てたと実感できた時、
なんじゃないかとも思う。

こればっかしは、
お金をいくら持っていても、
実感することができない。

だからもしかすると、
働くということと、
お金を稼ぐということは、
強い関係性こそあれど、
同じではないのかもしれない。

世の中の多くの人は、
「働く」=「お金を稼ぐ」
になっているけど。

働くというのは、
生きていることの実感をより強くする、
社会とのつながりを確認するための営みでもあるのかもしれない。

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