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脱マルチタスキングへの心構え

マルチタスキング病をそろそろ治したい。

I'm a multitasker

ある研究によると、マルチタスキングが生産性を40%も低下させる可能性があることが示唆されている。

今ポッドキャストを聴きながら、この記事を書き始めた時点でアウトなわけだか、一旦それは脇に置いてどうかわたしの話を聞いていただきたい。
思い返せば、当時はマルチタスクという認識はなかったが、小学生の頃からやっていた。リビングでテレビを観ながら宿題を。マルチタスカーが誕生した瞬間である。

両親に注意された記憶もなければ、部屋で一人で勉強した記憶もほとんどない。曲がりなりにも、そのやり方で学年上位をキープできていたし、浪人はしたが旧帝大にも行けた。

しかし、社会人になり風向きが変わりつつある。

余白

そもそも、なぜマルチタスキングをしていたのか?最大の理由は、無音が耐えられないことだ。リビングに行けば誰かしらいるし、ほぼ確実にテレビがついていた。よって、ながら勉強が染み付いた。
今思うと恐ろしいが、期末テストのような大事なテスト前であっても、母は普通に話かけてきた。それに対して、わたしもさも勉強していませんかのごとく会話していた。

だが、そろそろマルチタスキングの限界に差し掛かっている感が否めない。リモートワークになり、そのことに気付き始めている。明らかに脳が追いついていないのだ。時間短縮を目論み、五感を総動員させて挑んでも身になっていないのだ。

余白って大事なんだなと、思い知らされた。余白があるから、記憶される。それをアウトプットすることで、新たに余白が生まれる。この好循環を意図的に作り出さない限り、クリエイティブなものは生み出せない。

取捨選択

では、余白を作り出すために何をすべきか?今の自分にできることは、やらないことを決める、すなわち取捨選択に尽きる。
どんな人も一日は24時間と決まっており、その24時間をどのように使うかはその人次第である。睡眠時間は少なくとも7時間は確保したいので、残り17時間をどう配分するかである。無駄な贅肉があれば徹底的に削ぎ落とす。

わたしにとっての贅肉はTVを含めた無益な動画コンテンツだ。減量を重ねた結果、定期視聴は10本程度となった。一方で、有益な情報源としてポッドキャスト、すなわち音声コンテンツを取り入れた。ポッドキャストであれば、ながらしやすい上に、脳をそれほど使わない行動に取り入れることができる。ただし、他の集中を要するタスクの場合、ハワイの波の音や自然音にしている。

それにしても、何でマルチタスキングってやった気になるんだろう?向いていないかもしれないのに。

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