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【旅行記】青春18きっぷで行く瀬戸内周遊旅行7泊8日(後半)


1日目・姫路 → 2日目・尾道 → 3日目・呉、宮島 → 4日目・広島
ときた旅行も、折り返し地点。広島を出発して、フェリーで愛媛へ向かう。


5日目(広島→松山)

広島駅から広電に乗り、フェリーターミナルのある広島港駅で下車。本州をいよいよ離れる。

切符を購入~!

フェリーは広く、座席も余裕をもって使えた。じゃがりこを購入し、悠々自適に景色を眺めて過ごした。

こうして船から陸を見ると、日本は、本当に津々浦々という言葉がよく似合う国だと思う。複雑な海岸線の折々に船・港・家といった人の営みが垣間見える。

船に乗ること2時間40分、正午に松山市の高浜港に到着。本州、九州、北海道、沖縄には行った経験があるが、四国は初めてだ。日本の本土4島を制覇したことに感慨深い気持ちになる。

高浜駅で、伊予鉄のオレンジ色の電車が出迎えてくれた。あいにく、JRでないので、18きっぷは使えない。17分ほど乗ると松山市の中心駅・伊予鉄松山市駅に到着。

四国というと随分遠くに来たと思うが、松山市駅には高島屋があり、ニトリや無印良品の店舗もある。人口約50万人、四国最大の人口を抱える立派な都会の中心駅である。

松山市駅のすぐ東に、銀天街というアーケード商店街があり、城下に向かって北上すると大街道というアーケード商店街がある。昨今、地方にはシャッター街と化した商店街もあるなかで、松山の商店街は、県都にふさわしい賑わいを維持し続けている。

松山城は、市街地に囲まれた小山の上にある。上へ行くのは、ロープウェーを使っていくのが一般的な模様である。3月だけど早咲きの桜が咲いていて、見とれてしまった。
(帰りは、写真右手のリフトで帰った。スキー場にあるようなリフトで、高所恐怖症の方にはご注意を)

城山からは、松山の街並みが一望できる。松山城は、姫路城と並んで現存12天守の一つであり、歴史的価値も高い。立派な石垣のお城だった。

新しく買った靴

松山城では靴底が破れるアクシデントも起こり、急遽松山市駅の高島屋で新しい靴を購入した。そのため、道後温泉のホテルには当初より遅れて到着した。

道後温泉は日本最古の温泉とも言われ、「千と千尋の神隠し」のモデルにもなった日本有数の温泉地である。夏目漱石の「坊ちゃん」でも登場し、「坊ちゃん」の銅像や案内板が松山市内や道後温泉周辺には数多く点在している。

夕飯は松山名物「鯛めし」である。温泉につかり、すっかり疲れも取れると、明日の移動に向けて眠りについた。

6日目(松山→今治・多度津・高松)

路面電車に乗り、JR松山駅へ到着。百貨店のある松山市駅とは違い、JRの松山駅は昭和風のこじんまりとした感じである。大阪や三ノ宮行きの高速バスの出発地となっているみたいだ。今日は、18きっぷで高松を目指す。

JR四国は採算を取るのが難しい中で高速輸送に向けて技術開発をしていたと聞いた。確かに、鈍行列車にしては急加速で列車は進行した。松山を出てしばらくすると予讃線は、窓から海が見える景色が続く。

予讃線の車窓から

青い空に青い海。春らしい晴れ晴れとした気持ちになる。丁度この日は、大学の卒業発表の日でもあった。列車の中で、自分の学籍番号が卒業者一覧のなかにあるのを確認し、安堵した。

18きっぷの醍醐味は途中下車である。有名なご当地B級グルメ「焼き豚玉子丼」を食べるために、今治で降りることにした。タオルと造船で有名な今治に、こんなグルメがあったとは !

焼き豚玉子丼

腹を満たし、今治を過ぎると、車窓は海を離れ、草原に菜の花が咲くのどかな田舎の光景に。空き家になって崩れかけた家、耕作放棄地に作られた太陽パネル、まだ冬の余韻が残る季節も相まって寂しげに映る。

見知らぬ川をいくつも超えていくのも、電車旅の気持ちよいところである。
遠くには、険しい四国山地の山並みが見える。確か西日本最高峰の石鎚山があるあたりだ。

愛媛をやっと抜けると、今回寄ろうと思っていた都市・宇多津で本日2回目の途中下車をした。

宇多津というのは有名な町ではないが、瀬戸大橋も近く丸亀や坂出にも近いので、ベッドタウン的な発展をしている。そして、今回の目的地でもある高さ150mを超えるゴールデンタワーもあるのだ。

下は子供の遊び場にもなっているらしいが、上のタワーはなんと空の上の水族館になっている。クマノミなどの南洋の魚と、瀬戸大橋が同時に存在する幻想的な光景を楽しんだ。

宇多津を出ると、高松へ向かう。帰宅する学生や社会人で混んでいて、香川はかなり栄えている県に感じた。日本で一番面積が小さい県であるが、その分比較的密集している。

ようやく高松駅に到着。ガラス張りにかわいらしい顔のついた駅で、同じ駅でも松山駅とは異なる趣の都会らしさがある。

高松築港駅から琴電に乗り、瓦町駅で降りる。駅近くのホテルに行き、荷物を置く。一休みして、商店街で讃岐うどん屋を目指すことにした。

香川ならうどん屋は山ほどあるだろうと思ったけど、意外と営業時間が遅かったりして、見つからない。ちょうど見つけた、「川福」さんで讃岐うどんを食べると、ちゃんと美味しくて安心した。

7日目(高松→倉敷)

ホテルから高松駅方面へ歩いて向かう。高松丸亀町商店街は、日本一の高さのアーケード商店街で、丸亀町壱番街前ドーム広場は商店街のシンボル的存在である。

全長470mの商店街を7つの「街区」にゾーニングし、商店街を一つのショッピングモールに見立てることで、業種の偏りや配置をマネジメントした再開発が全国的にも注目を浴びた。

商店街のシンボル・丸亀町壱番街前ドーム広場

アーケードを過ぎ、高松城に隣接した香川県立ミュージアムを見学。
香川県の自然と歴史を学んだ。

数々の船が行きかう瀬戸内海の絵
四国の古地図

いよいよ四国ともお別れする時が来た。高松を発つと、快速マリンライナーは、瀬戸大橋を渡り53分ほどで岡山に向かう。

臨海工場地帯を越えて、いよいよ瀬戸大橋へ。
瀬戸大橋を渡る途中、海を行きかう船がいくつも見えた。古代から瀬戸内海は大陸と畿内を結ぶ主要な航路だった。今もなお日本の物流を支える海の道として活躍しているのだ。

岡山駅で乗り換えて、少し西に戻って倉敷へ。倉敷は、山陽地方有数の観光都市として知られている。

倉敷駅前

倉敷駅から徒歩10分くらいだろうか、倉敷美観地区に到着した。

江戸時代・天領として栄えた倉敷の街には、白壁の町並みが今でも残る。

美観地区の中心に流れる倉敷川には、観光用の船や、色とりどりの和傘が並べられ、和風の印象的な空間が形成されている。人工的な観光地感もするが、これくらい観光に全振りしてくれると、観光者としてもノリやすい。

旧大原家本邸

倉敷の繁栄を導いた大地主・大原家は、地元の銀行、新聞や電力会社などなど数々の経営者を輩出した。旧大原家住宅は、国指定重要文化財となっており、学術書に囲まれた書斎のような空間でコーヒーと菓子を嗜むこともできる。う~ん、満足…。

倉敷紡績の工場跡地にできた倉敷アイビースクエアの煉瓦の壁沿いには、お土産屋が立ち並ぶ。

墓地のある丘の上から見ると、この通り、江戸時代と見間違うかのような白壁と黒い瓦の家々が見渡せる。この景色を見るために、倉敷へ来たんだと思わされる。わざわざ丘の上まで登った甲斐があった。

ホテルは岡山にあるので、7日目はまた倉敷から岡山へ戻り、最終日の準備を進めた。

8日目(岡山)

旅の最終日、目的地は岡山である。2日目に通り過ぎた街なのに、最終目的地なのは不思議な気分である。この日は、朝9時に出発した。

有名な桃太郎像は、待ち合わせ場所になっているようだ

路面電車で日本三名園の一つ岡山後楽園へ。
この日は、市街西部を流れる旭川の水面が美しかった。後楽園はこの川の東岸に、岡山城は西岸に位置している。旭川が岡山城の堀の代わりとなる恰好だ。

後楽園は岡山を治めた大名・池田家が築き上げた広大な庭園である。ちょうど3月上旬は、梅と桜の咲く合間の季節で、観光客はあまりいなかった。その分、落ち着いて散策出来たと思う。


そして、岡山城。下層階と上層階で向きが異なる独特の建築様相を呈してる。全体的に黒みがかっており、「烏城」と呼ばれることもある。

空襲で焼失後、昭和41(1966)年に再建され、「歴史を伝える城、集う城」として令和4(2022)年にリニューアルオープンした。城内は歴史を分かりやすくビジュアル的に伝える展示が多くあり、じっくり見てしまった。

岡山城周辺は、岡山カルチャーゾーンと言われている。県立博物館に県立図書館、市民期間のほか、県立美術館や夢二郷土美術館、岡山市立オリエント美術館など多数の美術館がある。

その中で、私は林原美術館に行った。一番有名だし、城と後楽園との共通チケットがあるのも大きい。このときは、企画展「歌心―古典文学と和歌のしらべ―」という題で、源氏物語など日本古典に因んだ展示が催されていた。

美術館を去り、長い旅も大詰めである。表町商店街を通りぬけ、岡山駅へ向かう。賑やかな商店やオフィスビルが幾つもあり、この街も政令指定都市で、日本の主要都市であることを思い出させてくれる。

表町商店街には謎の恐竜がいた
岡山駅近には都市型の巨大イオンがある。もともと林原所有地だった場所をイオンが取得した

イオンのフードコートで夕飯を食べると、岡山土産を購入して名古屋行きの新幹線で帰路に就く。名残惜しい気持ちを拭う間もなく、新幹線は、私がいままで各駅停車で見てきた街を飛び越していった。

旅を終えて

3月2日から9日までの長い旅はここで終わった。旅から帰り、休む暇もなく3月14日に私は名古屋の下宿も引き払った。

私が過ごした姫路、尾道、広島、松山、高松、岡山といった街に次に訪れるのはいつになるだろう、そのときは誰と訪れるのだろうと、当てもなく考えると無性な寂しさに苛まれる。1日すごした中国・四国地方の都市も、4年弱過ごした名古屋も、そこで過ごした一日は戻らない。元に戻らない寂しさを抱きしめて生きていかないといけない。旅も人生もそこは変わらないと思った。

自分は地理好き、都市マニアなので、都市に関する考察もしたい。今回訪問した全ての街(姫路、尾道、呉、広島、松山、今治、高松、岡山)には全蓋アーケード商店街があったし、広島、松山、岡山には路面電車があった。

姫路のアーケード商店街


自分が生まれ育った静岡に、大規模なアーケードと路面電車を備えた都市は少なく、西日本的な都市景観の特徴のように思う。

昨今の日本の地方都市は、人口流出、郊外化が厳しく、市街地の賑わいの維持が厳しい状況にある。アーケードも路面電車も、車ではなく人の足を使うコンパクトな都市空間の形成を促進しているので、何とか頑張ってほしい。

18きっぷの旅を標榜しながらも、実質新幹線とフェリーも使ったが、効率良く瀬戸内らしい海の景観を見ながら周遊するルートで行けたので満足している。

また、旅行記や日常のつれずれなど書きたいと思うので、読んでくれた人はいいねとフォローとかよろしくお願いします。



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