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なぜアウトプットするのか整理してみる→大切なのはアウトプットじゃなくて「整理」だった

ここ数日、最近のnote(僕の記事)はなんか良くない!との考えが強くて、「改めます!」と表明する記事を出しもしましたが、そもそもなんでアウトプットをしているんだろうか。

ベースにあるのはアウトプット大全に感化されたことではあるけれど、いま思索を深めてみればなにか違うものが見える気がします。

①理解を深めるため

人はインプットした情報を整理して、アウトプットすることで深く脳に刻まれて理解が促進されるそうです。アウトプット大全に書いてありましたが、インプット過多の人が多数で、インプットとアウトプットの比率を逆転させるくらいでちょうどよいぐらいとのこと。

これに感化されてnoteを始めたわけで、アウトプット大全を読んだ直後はこれがすべてだったように思います。

②忘れていく情報をインプットするため

きちんとnoteや日記を書こうと思うと思考や行動、その日にあったことを思い返して整理するんですね。そうしてみると、その日あったことだというのに「こんなことあったな〜」という出来事が結構ある。

整理の段階を踏まなければこういった出来事は振り返られることもなく、消えていくのみ。インプット過多と相反するかもしれませんが、人は何もしなければ都合のいい記憶、出来事を選り好みしてインプットしているのかもしれません。

出来事を整理することで出来事にまつわる思考、感覚も客観視されると思います。消えていくだけだったものが糧になるというか。この過程でもって一日の体感密度がすごく高まる気がします。

③感性を磨くため

②の通り、きちんとアウトプットをしようと思ったときには出来事や物事に対する感想、思考を言語化していく段階をはさみます。

余談ですが、この記事も紙のノートに考えを整理したうえで書いています。体感ですがアドリブで書くよりずっと情報密度が濃くて、いい記事になるんです。

ここもやっぱり思考の整理なんでしょう。
鬼滅の刃を面白いと感じたとして、なぜ面白いと思うのかと考えを深めていけば過去の思考に行き当たるかもしれないし、自分の感性に響く本質を見つけられるかもしれません。この自己理解の繰り返しが感性を磨くってことなんじゃないかなと思います。

「アウトプット」が目的ではない

こうやって書き出して行き着いたのは「アウトプット」という行動が目的ではなくて、アウトプットにまつわる思考、感性、外部情報の整理を通じて思考・行動・感性を洗練させることなんじゃないかって行き着きました。

だから義務感で綴る惰性のアウトプットは回数だけが増えるのであまり自分的には意味がないんじゃないかなと。

今回の記事を書くにあたって、紙のノートを見返しましたが以前のほうがたくさんのことをメモしていたり、情報を整理して感想を書き加えていたりしていたことに驚きました。「如何に毎日記事をアウトプットするか。アドリブで書いたほうが早い」と考えたのかいつのまにか紙のノートに書かれることは減っていました。

結論としては、最近のnoteが微妙に思っていたのは思考の整理がついていない中でアドリブで書いてしまって、その時の気分やトレンドに振り回された内容になっていたから、です。

大切なことは思考をきちんと整理して自分の考えを掘り下げること。アウトプット大全を読んで「アウトプットしよう!」と感化されたときにはなかった視点を今回得ることができました。

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