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攻殻機動隊の新作とアニメのランゲージ

Netflixの新しい『攻殻機動隊SAC_2045』を見た。

それなりには面白かったのだけど、『攻殻機動隊』として、この出来はどうなの?というがっかり感が半端なかった。

『攻殻機動隊』にはコアなファンが世界中にいるはずだし、映画『マトリックス』をはじめハリウッドにも多大な影響を与えてきた伝説のシリーズだけに、Netflixでのオリジナル作品デビューという舞台ならば!もっとこう、有無を言わさないようなガツンとしたものを作ってほしかったなあ、というざんねん感がある。

「サステナブル戦争」「世界同時デフォルト」を経験した世界に「ポストヒューマン」という種が現れるというテーマは、このシリーズにふさわしいサイズの風呂敷だと思う。でもそのディテールがいちいち心に響かず、キャラクターにも思想どころか存在感を感じないのだ。

で思うに、この作品は全体に今のアニメの「型」に安住しすぎているのではなかろうか。その上で『攻殻機動隊』という、原作およびこれまでの作品群の持っていた遺産をごくごく受動的に無難な形で踏襲した作品だと感じた。

アニメのリテラシー

アニメ特有のキャラ設定、仕草、声のトーンなどの約束事には、その中に、ある特定の世界観が含まれている。

それは代々の視聴者とクリエイターがいっしょになって培ってきたもので、たとえば歌舞伎の型のようなもの。歌舞伎の派手な見栄やセリフ回しに、観客にとって脳天をしびれさせる約束があるように、アニメの世界にもたくさんの約束事があり、常識がある。

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たとえばこのシリーズで言えば、ジョン・スミスのしゃべり方は、何もかも見透かしたような態度で人を小馬鹿にした悪役のパターンにぴったりはまる。『天空の城ラピュタ』のムスカ少佐や、いにしえのロボットアニメの悪役のDNA。でもこんなしゃべり方する人、アニメ世界の外には存在しない。

アニメのエコシステムの中での常識がその外では奇異にうつるということを、もしかして日本のアニメのクリエイターの人はあまり意識していないのではないか、と、『SAC_2045』を見て、じわじわ感じた。

先日こんなツイートを見た。

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こういう「様式美」、つまりは型に従うことに忠実であるって、それ以上の想像力をはたらかせないってことだよね。宮崎駿はその様式美を超えた、自らの実感にもとづく仕事をしていたということだ。

この新しい『SAC_2045』にはそういう様式美ないしは「定型」がたくさん見える。そしてそれぞれの型をツギハギしているものだから、作品世界がひどくチグハグに感じてしまうのだ。

『攻殻機動隊』というシリーズは、『スターウォーズ』と同じように幅広いファンがいろんな期待を持って見守る文化遺産みたいなもの。

だからこそ、「現在のアニメの型のリテラシー」を持たない世界の視聴者にも届く、ユニバーサルなアピールを持つ作品であってほしい。もっと広い世界で勝負に出てほしかったなあ、と残念でならないのだ。

今回の『SAC_2045』は作った人があくまで仕事として割り切って、定形にそって規格どおりに仕上げ、責任を果たしました、こんなんもんでいいでしょ、という熱のなさを感じる。どうしてそんなに元気がないのだ。

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たとえば美少女キャラ

今回のシリーズの女性キャラは、とっても繊細。いままででいちばん繊細な少佐ではないかと思う。その透明感のある目の表情などはとても素敵なのだけれど、でも少佐の場合はその繊細なたおやかさをキャラクターに統合しきれていないのでキャラとしてチグハグに見え、新キャラのプリンちゃんはオーバーな幼女っぽさが異様に感じられる。

プリンちゃんは可愛いのだけど、これはあるタイプの男性たちが少女にはこうあってほしいと望む「ピュア」な可愛さなんだろうなと思うだけで、リアリティも必然性も感じられない。天才少女がごっついバトーに恋心を抱くという設定なら、もっといくらでも陰影のある仕草があるだろうよと思う。これもアニメの「型」のひとつなのだろうが、リアルなキャラクターとしての説得力はゼロだ。


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型ということでいえば、日本のアニメで当たり前になっているセクシャリティ表現はかなり特殊で、コアなアニメファン以外の米国の(ほかの国ではどうだかわからないけれど、ヨーロッパはそれほど違わないと思う)視聴者にとってはかなりヘンなものに映るということを、日本のクリエイターの人たちはちゃんと把握しているのだろうか?

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大富豪の家にもロサンゼルスの戦争会社にも配備されていたメイドロボットが、秋葉原のメイド喫茶から出てきたみたいなハンコで押したような美少女キャラクターなのが、とっても萎えた。

クリエイターさんたちは、このミニスカートで胸を強調したメイド服姿の従順な美少女ロボット(ダッチワイフにしか見えないのだ)がアメリカの近未来のメインストリーム文化でふつうに存在可能だと考えてるようだけど、その感覚はちょっとおかしい。

ローカットのパンツからハイレグのレザー製ボディスーツの露出部分が見えているという少佐のコスチュームのエロさも、微妙に社会的コードに抵触していて、見てはいけないものを見てしまったような気分にさせられる。

でもこれは全部、アニメのエコシステムの中ではまったく不自然に感じられないのだろうと思う。おそらくそれを意識してあえてやっているのではないらしい、その感覚が残念。

そして雑魚キャラたち

特にアメリカを舞台にした前半に出てくる脇役たちがひどい。

アメリカ人のキャラクターたちがあまりにも想像力貧困すぎるというかリアリティなさすぎなのだ。そしてあの、映画『マトリックス』から借りてきたエージェント・スミスは、冗談にしてもぜんぜん面白くない。

冒頭に出てくるテロリストたちも、ロサンゼルスの娼婦や屋台のおばちゃんも、スティーブ・ジョブズ似の大富豪も、いかにもなステレオタイプでペラペラのキャラクターばかり目についた。

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「元カレッジフットボールの選手」であるテロリストたちも……。なんでスタジャン着て70年代風のヘルメットかぶっとるねん。「アメリカの学生ならこうだろ」という年代ものの「型」をそのまま踏襲しているとしか思えない。もしかしてギャグなのかもしれないけれど、まったく理解できなかった。

特に前半に出てくる人物の動きも不自然で気持ちがわるい。「不気味の谷」に足を踏み入れた、一山いくらのゲーム用ジェネリックキャラクターといった感じなのだ。人がプレイしているゲームを背後から見ている感じ。

もちろん公安9課のメンバーはそれぞれの魅力をいちおう保持している(…けれど、あの荒巻やトグサのプラスチックかつらのような髪型はなんとかならんかったのか)。

日本に舞台が移ってからのキャラクターの多くは、アメリカン雑魚キャラに比べてずっと陰影とリアリティがあった。タカシ少年のお母さん、覗き見フェチのオタク青年、銀行を襲う老人たちなどはそこそこ素敵な個性あるキャラだった。アメリカ出身の首相というキャラも面白いけど、9課の連中とわたりあうだけの迫力はないのが残念。

シーズン1終盤のメインキャラクターである、自己肯定感が異常に低い天才少年タカシくんにも、既視感がある。エヴァンゲリオンの碇シンジ君の生まれ変わりか。そして空挺部隊のおっさんはどことなくジブリっぽい。ユズちゃん、数学教師、自殺するクラスメイトは紋切り型で、見本帳から切り抜いてきたみたいな平板なキャラ。

全体にキャラクター世界がチグハグで統一感がなく、特に繊細なタカシ少年や美少女キャラたちと、それ以外のキャラの間に次元の歪みがあるような気がしてくる。


空間デザインのひどさ

先月、HBOシリーズの『ウエストワールド』を3シーズン立て続けに観て、とっても感銘を受けた。あのシリーズはとにかくビジュアルが圧倒的に素晴らしかった。

シーズン3の舞台は2058年のロサンゼルスで、人類を相手に一人戦いをくりひろげるドロレスは草薙素子少佐をほうふつとさせた。きっとあのシリーズのクリエイターたちの中にも攻殻機動隊シリーズに影響を受けた人がたくさんいるに違いないと思う。(ところで、このウエストワールドのイントロと今回の『SAC_2045』のイントロがそっくりなのはいったいどういうことなのだろう??)

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でもそれに対して本家(スピンオフではあるけれど)がこれではあまりに悲しすぎる。かたや実写、かたやCGアニメではあるが、手法の問題じゃなくて、とにかくビジュアルのテイストがひと昔前っぽい。全体になんというかしみったれているのである。よくいってキッチュ。

たとえば荒巻のオフィスはやたら広く、妙なところに巨大な柱があり、IKEAで売ってるようなコーヒーテーブルと安っぽい無個性な革のソファ、IKEAのカタログにあるような観葉植物が間延びした間隔をおいて並べられている。

少佐たちを雇っている民間軍事会社の社長のオフィスも、超大富豪の家も、首相の執務室も、日本の料亭でさえ、そのへんの安いゲームでもいまどき見ないようなジェネリックな、チープな空間なのだ。

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首相官邸の外見もひどい。ポストモダンの悪い夢のような、80年代にどこかの地方都市で町おこしのために作った残念なテーマパークの建物みたいな建物である。

内部ももれなくひどい。デザインを仕事にしているうちの息子は首相執務室のインテリアを見て、「デザイン科の1年生が課題で作ったCGモデルみたい」と言っていた。

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全体に、登場人物の服装も空間のデザインも、20世紀後半の、バブル後期あたりを思わせる。たぶんそれは意図してのことではなく、クリエイターの人たちの無意識が描いているのだろうと思う。

新首都であるらしい福岡の街なみも、2045年というよりは2000年という感じ。監視カメラがあちこちに配備されているディテールを除けば、あまり革新的なデザインは紹介されていない。世界同時デフォルトを経験した世界にしては潤沢にインフラが整っていて、道路も街もピカピカ。

むしろ、現在の小綺麗で画一的で元気のない日本がそのまま画面に表現されているように感じる。表現されて、というよりも、うっかり映し出されてしまったという印象を受ける。

室内でいちばん説得力があったのは、タカシ少年と母が住んでいるアパートと、空挺さんのあばら家。このスケール感に、作った人の実感がこもってた。終盤2話のジブリな感じの廃村の背景に、いちばん熱のこもった美意識を感じたのだ。クリエイターさんたちが魂を込めたのは未来ではなくてノスタルジアなのか。

13話以降はまだ製作中なのか、公開日程もアナウンスされていないけれど、ビジュアルもキャラクターもストーリーも、もうちょっと鋭く世の中を驚かせるような作品になっていてほしいなあ、と思う。


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