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中村隆之『第二世界のカルトグラフィ』(共和国)を読んで

 人と出会うことで触発されるように、本との出会いも一人の人間の人生を大きく変えることがある。本との出会いの場は種々ある。書店に足を運べばそこには数えきれないほどの書物に圧倒されることだろう。インターネットが発達した今日では、自分の興味に適うジャンルのおすすめ作品をみつけるのも容易い。あるいは、友人に本を薦めてもらうこともあるだろう。

 私が『第二世界のカルトグラフィ』を手に取ったのは、ひとえに著者の中村隆之先生に大学時代に語学や演習でご教授いただいた縁があったからだ。その縁がなかったらきっと本書を手に取ることはなかったように思う。なぜなら私は書店に足を運んでもいつも決まった棚しかみないような人間だからだ。金色の装丁に惹かれていた可能性は否めないが。

 本書との出会いは、上記に挙げた本との出会い方には当てはまっていない。おすすめ作品を検索したわけでもないし、友人に紹介してもらったわけでもないからだ。私は本書を購入するという明確な目的をもって発売日に書店に足を運んだ。そのときの私は、綺麗な装丁と普段の私が手に取らないような類の本を前に胸を躍らせると同時に私に読めるのだろうかと一抹の不安を覚えていた。

 けれどもその不安は本書を開いてすぐに消えた。タイトルにある「第二世界」という言葉が早速目に入る。もちろん、というのはもしかしたら恥ずべきことなのかもしれないが、私は「第二世界」という言葉を知らなかった。でも、隠された世界があるだなんていわれたらワクワクせずにはいられない。この不思議な言葉はカリブ海フランス領の島マルティニック出身のパトリック・シャモワゾーが書いた『カリブ海儀典』のなかのエピソード「第二世界の〈場所〉の手帖」に見て取れる(6-7頁)。細かいことは措いておいて、私は本書が私を未だ知らない〈場所〉へと誘ってくれる予感を最初の「第二世界は存在する」で覚えた。

 「カルトグラフィ」という言葉にもなじみがなかった。これは読み終えてから調べたのだが、「まっさらな白地図に、自分だけの道しるべを描き込み、世界でただひとつの地図をつくる」。それがカルトグラフィらしい。この本を読み終えてからその意味を知ると、手に取る前はどこかよそよそしく感じられた『第二世界のカルトグラフィ』というタイトルが急にこのタイトルしかないと思えるのだから不思議である。私たち読者は、著者が描いた地図と同じルートを辿り、思い出を追体験する──。

 本書は四部からなる。それぞれのテーマは「場所」「境界」「生」「交響」。全部に言及するのは冗長だと思われるので、ここでは私の印章に残った2、3に触れるにとどめる。

 まずは第Ⅰ部「場所」に収められている「ファトゥ・ディオムの薄紫色」。第Ⅰ部は海外のある〈場所〉とその地にゆかりのある文学作品との結びつきに焦点が当てられる。ここでは、ファトゥ・ディオムの長編小説『大西洋の海草のように』とディオムが本書で扱った移民現象について書かれる。著者のディオムはセネガルで生まれ、後にフランス人と結婚し相手の故郷ストラスブールに移住した経験をもつ。『大西洋の海草のように』の主人公サリは、セネガルにおいてもフランスにおいてもよそ者であるという強烈な自覚があるが、だからこそ両社会を批判することができる。わけても私が惹かれたのは、サリが薄紫色を好む理由である。それは「「アフリカの熱い赤と、冷たいヨーロッパの青が混じり合った穏和な色」だからだとサリは述べる」(54頁)。ファトゥ・ディオムの新刊は薄紫色らしい。私は本書の金色の装丁にも目を見張ったが、表紙の色に象徴的な色をもたせることがあるのだということは初めて知った。

 第Ⅱ部「境界」の「文明のなかの居心地悪さ」も挙げておきたい。著者が「人は他者になるのではない、一生をかけて自己になるのだ」という宗教的教訓を目にしたことから話が推し進められていく。著者の〈他者〉になりたい、内なる〈自己〉を変容させたい、という願望をみて、私自身はどうだろう、と自問自答した。ここでは、「「自分自身の属する文明」のなかで感じる「居心地の悪さ」が、異なる場所への接近、異なる文化との接触、すなわち〈他者〉との邂逅に人を導くのではないだろうか」(92-93頁)と問われる。生きるということは、他者や社会と触れることであり、それは常に〈自己〉の変容を迫られていることでもある。もっとも、私たちがそのことに自覚的にならなければ受動的な変容しか起こり得ないだろう。「問題は、〈自己〉が揺さぶられ、変容するかどうか、ではないだろうか」(94頁)と著者が言うのは、そのようなことに映った。道端で目にした宗教的教訓からこのように思考を触発されるのは著者ならではのことだと思い、その感性を美しく思った。

 その他にも触れたいことはいくつもあるのだけれど、ここまでで充分本書のことは伝えられたように思う。本当は第Ⅲ部「生」の「フランス国立図書館と作家研究」や第Ⅳ部「交響」の全てについて思ったこと、感じたことを書きたいのだけれど、先も述べたように冗長になるので差し控える。

 決まりきった日常や風景に辟易していたり、いつもみている世界には実は私たちが知らない〈場所〉があるのだということを知りたい方はぜひ本書を手に取ってほしい。きっと、後悔しない旅ができるはず──。


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