指揮者がいない魅力のマロオケ
マロオケには指揮者がいません。
それはマロさんが言うには、マロオケは、
「巨大な室内楽」
だからです。
今では演奏に指揮者がいるのが普通ですから、指揮者なしで交響曲をやるとなると驚かれるのですが、
「巨大な室内楽」
と、言われれば、とてもしっくりくるんです。
しかしながら、モーツァルトやベートーヴェンの時代は、指揮者がいないことは普通だったので、つまり歴史的に「指揮者」というものが職業化されてから、指揮者はあるのが普通という認識になってきたのでしょう。
言ってみれば、わたしたちは指揮者がいることに慣れてしまっている。
そんな中、指揮者がいない状態で交響曲を聴けるというのは、マロオケくらいしかチャンスはないわけです。
いくら巨大な室内楽と言っても、やはり交響曲ですから、指揮者がいたほうが弾きやすいのかもしれない。それなのにマロオケがなぜ、指揮者がいないのにあんなにすごいアンサンブルができてしまうか? それはやはりマロさんとその仲間でやっているという阿吽の呼吸があるからではないでしょうか。
いくら上手い奏者を集めても、この呼吸がなければアンサンブルはうまくいかない。
しかし、あまり大きな声では言えませんが、指揮者を職業とするひとから、マロオケは、
「チッ!」
と、思われているのだとか、どうだか。
それはそうでしょう。指揮者がいないのにあんな見事なアンサンブルを見せつけられたら、お客さんから、
「指揮者って、実は要らないんじゃね?」
と、思われてしまうのだから、指揮者を職業にしていると、ちょっとおもしろくないのかもしれません。
本来は指揮者がいなかった時代の音楽だし、巨大に室内楽的にやっているだけなのだから、指揮者をないがしろにしているわけではなく、もちろんメンバーたちも指揮者のすばらしさ、すごさというのは理解しています。
ただ、マロオケはマロさんとその仲間たちで自由に音楽を創っていく巨大な室内楽だから、指揮者はいらないのです。
でも、演奏するのはやっぱり交響曲。指揮者が打点を出してないのに、あれだけアンサンブルできるのは驚きです。
そして、ここだけの話、マロオケは自分たちの音楽を自分たちで持っていて、自分たちで創れるので、指揮者なんてウザいと思っているかもしれない。これはわたしが勝手に言っていること、にしておきましょう。
きっと、彼らは指揮者がいたら弾かないでしょう。だって、自分たちの音楽でなく、指揮者の音楽になってしまうくらいなら、集まる理由なんてないからです。
なので、マロオケにお越しになる皆様は、演奏者たちだけで創り上げる交響曲という、今では大変珍しいものをご覧になることになります。
どこのプロオケの演奏会に行っても、普通に指揮者がいてしまうので、指揮者なしでとなると、マロオケでしか見ることはできません。
そういう意味でもマロオケの公演は貴重です。他では代替できないオンリーなオーケストラです。
マロオケがクラシック音楽界でも、どれだけ価値のあるものか、ご理解いただけると思います。
ぜひ、船橋へお越しください。
チケットは、船橋市民文化ホール(047-434-5555)、チケットぴあ、イープラス、結美堂マロオケ窓口(070-6477-6335)まで。
指揮者がいない話は、わたしとマロさんのトーク動画でもご覧になれます。https://youtu.be/Wtg4qCNoBgc
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