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マロオケのこと vol.9

マロオケ東京初公演が無事終わりました。すばらしいというか、ものすごいというか、歴史的名演奏といっていいほどのコンサートになりました。

お客様の集中力も高く、そしてその期待感が入場される入口からもすでに伝わってきて、ジュピターの最終楽章が鳴り響いたときは、ホール全体が大興奮と大感動のエネルギーで満たされました。

「わたしたちは、型破りであり続け、非常識であり続けた」

主催者であるわたしも、マロオケメンバーも、型破りで、非常識であり続けました。

型破りであることは、既成の価値観に媚びることも迎合することもなく、非常識であることは常識にとらわれず、自分たちがやりたいことを思い切りやることです。

わたしはこの公演に協賛企業を一切つけませんでした。サントリーホールにマロオケを聴きたくて身銭を切ってでも来てくださるお客様の力だけで公演を成功させようと考えたからです。

協賛企業がつけば、招待券と引き換えに座席もある程度埋めることができるし、運営資金も得ることができます。しかし、資金を提供されるとやりたいことはできなくなるものです。

資金を出してくれる相手の言うことを聞かなくてはならなくなるし、いろいろな注文を付けられ、大きな顔をされてしまう。そんなことではマロオケメンバーも自由に自分たちの音楽ができません。

だからこそ、お客様の力だけで公演をやろうと思ったのです。

今回はそれを徹底しました。通常、演奏者招待として、主催者は演奏者が自分の関係者を招待できるよう招待券を渡すものですが、わたしはそれもしませんでした。

演奏者の関係者であれば、それがたとえ親族であってもお金を払って聴いてくれ。そのエネルギーによってこの公演は支えられているのだから、招待でなくチケットを買って聴いてほしい。でも、絶対に後悔はさせない。

そういう気持ちで、演奏者には申し訳ないと思いながらも、妥協しませんでした。

そして、プログラムに掲載した飛鳥新社、格之進からも広告料は一銭ももらっていません。広告料は取らない代わりに飛鳥新社にはCDボックスを抽選で3名のお客様に提供してほしい、そして格之進にはマロオケアフターディナーで協力してほしい、ただそれだけです。

考えてみれば、企画の立ち上げから型破りであり、非常識でした。

いえ、型を破ろうと思っていたわけではありません。やりたいことをやっただけだから、既存のものがどうかなど最初から頭になかったし、参考にしていませんでした。

モーツァルトの交響曲を一日で6つ。こんな公演の型はないし、曲目的にも、時間的にも非常識でした。

6曲をやりたいからやるだけで、時間のことなどまるで考えていなかったので、やると決めた後にホールの昼の部に時間的に収まらないとわかりました。そのときは少し慌てましたが、30分の延長料金を払うことで解決しました。

ホールの時間に収まらないのがわかっても、6曲を5曲に減らそうとはまったく考えませんでした。6曲やりたい。それをやるにはどうすればいいか? そういう思考回路で常に動いていました。

そして、当日のプログラムの挨拶文にも書きましたが、曲目解説を省きました。さらにオーケストラプロフィールも省きました。本心はわたしの余計な挨拶文もなしで「マロオケ 曲目 メンバー名」だけでよかったと思っています。メンバーはマロオケなのだから、その所属楽団や肩書きも本当は必要ありませんでした。いえ、そもそもあんなものを紙に印刷して配る必要すらないのかもしれません。

つまり、説明的なるものはわたしには邪魔なものでしかありませんでした。説明的な先入観を一切なくし、今、その瞬間に鳴っている「音」だけをお客様に体全身の皮膚で感じてほしかったのです。

でも、この試みは成功したと思います。クラシック音楽ファンはスノッブになりがちです。音よりも知識やウンチクを語る趣味になりがちです。

しかし、わたしは音楽は感じるものであって、ウンチクではない、そう思っています。だからこそ、マロオケの東京初公演は知識もウンチクも届かない堂々たる演奏になりました。

メンバーたちも型破りで非常識であり続けてくれました。

そもそもマロオケ自体が型破りなものです。各々が所属するオーケストラを抜け出し、この舞台に立つのですから。

そして、指揮者も置かず、メンバーが音楽を進める瞬間に反応し合い、音楽を創り上げていく。型にはまった演奏ではなく、瞬間の積み重なりによってできあがっていく音楽。

それゆえに演奏者すべての感性が迸り、核融合を起こしたかのような巨大な演奏になりました。型にはまろうとする人間には、こういうことはできません。

自分たちで創っていこうとすることは、芸術です。芸術は他人の真似をしない、他人と同じことはやらない、ひとには媚びない、やりたいことしかやらない、やりたくないことはやらない、前例を考えない、型や社会が基準ではなく、自分が基準。だから、誰に何を言われようと動じない。

一般社会から見れば非常識でしかないこの姿勢が、今回の演奏会を成功させたのだと思います。

そして、わたしたちの型破りというか、そもそも型のことなど考えない非常識な精神に多くのお客様が共感してくださいました。

ちょうど一年半前、この企画を思いついて、マロさんにお話しました。そこからマロさんはメンバーを集め、マロオケ東京初公演メンバーが決まりました。

マロオケメンバーは皆が本当にすばらしく、モーツァルト6曲という非常識なオーダーにも想像をはるかに超える演奏で応えてくれました。

あんないいメンバーと音楽をやると、また彼らに会いたくなるものです。また一緒にやりたい。

またサントリーホールに集まりましょう。メンバーもお客様も。

マロオケ2016公式ホームページ http://maro-oke.tokyo/

マロオケ2016公式フェイスブック https://www.facebook.com/marooke/





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