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なぞる時間

人からおすすめされた本を読むのが好き。本をおすすめしてくれる人も好き。

去年の夏、好きな人が教えてくれた本を読んだとき、これまでに感じたことが無いくらいのときめきを感じて、心がぎゅっとなった。

それを教えてくれた人は、自他ともに認める本の虫で、人生の軸に数え切れないほどの本を抱えている人だった。その中から、ぜひ読んで欲しいと選んでくれた本。

あまり自分のことを話さないあの人のこと、言葉、景色、思い出、優しさ。どんな角度から世界を見ているのか、少しだけのぞき見出来ることがうれしくて、じりりと太陽が照ってる日、日焼け止めも塗らずに自転車を飛ばして本屋へ走った。

好きな人が聴いてる音楽を聴いてみたり、よく着てるブランドを真似たり、好きな人が好きな食べ物を無理やり好きになろうとしたり。人に心を寄せたことのある人ならわかるかもしれない。

でも、だんだんと気がつく。嬉しいのは、物理的におそろいの物を持つことじゃない。
同じ音楽を、歌詞を聴いた4分程度の時間だったり、洋服を選んだ時の気持ち。そういうおそろいの感覚や時間を過ごせることが嬉しいのだ。

だから、私にとって彼がおすすめしてくれた本を読むことは、格別だった。
なかなかに長編で、少々難しい内容の本だったが、それにかけている時間は全部幸せで、1ページ読むごとにまた1ページ増えて、無限に続きますようにと願っていた。
彼がなぞった1文字1文字を追いかけていくお揃いの時間。穏やかで優しくて、大切だった。

彼の、顔も声も全部大好きだったけど、口から飛び出すことばが世界で1番すき。
おなじことばにもその人だけが持つ、やわらかさ、温度、手触りがそれぞれあって、それを知りたいと思うことが、私にとって人を好きになるということだと教えてくれた。

こうやって大切な人の人生観が垣間見えた時に感じるときめきを知ってしまってからは、日々を過ごす中でこの人の発する言葉は心の奥底に響いて忘れずにいたいなと感じた時、どんな本を読むのか、知りたくてたまらなくなる。

でも私は、本を読む人が好きだけど、本を読まない人のことも同じくらい好き。「本を読まないということは、その人が孤独でないといふ証拠である」という太宰治の言葉を聞いたことがある。

自分のことは自分で決められて、周りともうまく馴染みながら人生観を作っていける人は、自由で優しくてずるい。だからたまにうらやましくなる。

でも、どうしようもない夜にはぬいぐるみを抱いたり、SNSに浸ってひたすら泣いたり、そんな夜を過ごしている日もあって、それも誰かとお揃いの時間をなぞっているのかもしれなくて。
だから愛おしく感じてしまう。

私が好きだった孤独な彼は今年の夏、小説家デビューをするらしい。やっぱり彼は孤独から救ってくれるというより愛すべき孤独を与えてくれる人なのだと思った。

タイトルは「いさな」だって。私はこのことばの意味を知ってる。ずっと前に彼が教えてくれた。離れてしまった今でも、言葉は私の中で生きていて、元気に泳いでいる。

今年もまた、自転車を飛ばして本屋に走る。今度はあなたの紡いだ言葉が、私の人生になるんだね。

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