私たちは簡単に「良かれと思って良くないことをする」
美しさは罪だし、可愛いは正義だし、色白は七難隠すし、立てば芍薬・座れば牡丹・歩く姿は百合の花だし。
魅力を語る言葉は時代時代に生まれ蓄積され、何割かは消えていくけど何割かは生き残り、そのサイクルのどこで生きているかで私たちの価値観は規定されていきます。
美しいとはどういうことか。
突然そんなことを言い出したのには理由があります。
我が家の長女のKちゃん(小5)の話です。
まだコロナの猛威がなかったころ、普通に学校に行っていた彼女は、何らかの理由があってか眉毛とまつ毛を自分で全部抜いてしまいました。
それまでは普通にしっかりした眉毛とまつ毛があったのに、じわじわなくなっていっている・・・、明確になくなっていってる・・・。眉のあった位置にはつまめないくらいの産毛しか残ってないし、濃いめのまつ毛が生えていた部分も綺麗さっぱり「元から何もなかったですけど」という雰囲気の目元に・・・。
異変を感じ慌てた私は「もう抜いちゃダメだよ、生えなくなっちゃうよ」と注意。楽観していました。子供の毛根だから、なんだかんだ言ってまた生えてくるだろうと思っていました。
しかしそれからしばらくしても眉毛まつ毛が生えてくる兆しがありません。いやいやおかしい、生えてくるたびに抜いてしまっているのかもしれない・・・と思い始めた頃コロナによる緊急事態宣言で、在宅で勉強する時間が3ヶ月訪れました。
その間見ている限りでも、眉毛を抜いている様子はもうなく、純粋に眉毛&まつ毛が生えなくなっている・・・。
学校で友達に何か言われたりしないだろうか?と勝手に思って、アイブロウペンシルで眉を描いてあげたり眉毛の転写式シールで学校に送り出したり・・・。
でも特段友達に何か言われるわけでもないようで、本人も気にしてない様子。逆に毎朝娘の眉を「なんとかしなきゃ」と焦っている自分に違和感を覚えてこの一年は何もしないでいました。
しかし、悩みというのは一つの言葉でブワッと発見されてしまうものです。
そのことをふと美容サロンを経営している友人に話したところ「まつ毛や眉毛の育毛の施術もやってるから、相談に乗るよ」という心配の声かけをもらいました。
「休眠期間が短い方が、育毛にかかる時間も短いから・・・」
えっ!?
育毛を始めるのなら早い方がいい・・・ぼんやりしていたこの時間が、命取りに・・・!?
目は、顔のパーツの中でも美しさや印象に関わる一番大事な部分です。漫画でも特に念入りに描くし、まつ毛がたくさんあるキャラクターは華やかで魅力が増します。「まつ毛も眉毛もあった方がいい」という価値観の中に私はいて、それがこれから大人になっていく娘にもきっと必要であるという思い。
しかし、同時に「今現在の眉毛とまつ毛がない娘」は、本当に何かが足りない存在なのか?という疑問も湧き上がります。誰にもいじめられてないし、自分で悩んでいるわけでもないのです。
娘に話してみました。
「友達が、眉毛とまつ毛が生える方法があるかもしれないから、相談に乗るよって言っているけど、どうする?今は気にならないかもしれないけど、大人になったら『眉毛あったらよかったなあ』って思うかもしれない。その時のために、今やれることやっておく?」
娘は明確に言いました。
「いらない。大丈夫。相談しなくていいよ」
「・・・わかった」
「わかった」と言った私は、自分の中の物差しを違うものに取り替えることにしました。
「これから大人になっていく娘にも眉毛・まつ毛はきっと必要であるという思い。」を「これから大人になっていく娘にも眉毛・まつ毛はきっと必要であるという思い込み」に。
美しさには時代ごとの変遷があります。眉毛・まつ毛の歴史をまとめたサイトを見ると、その変遷のおもしろさと美意識の揺らぎ方に、理解できるものと理解の難しいものがあったりします。
https://www.ke-beauty.jp/history/
とくに「まつ毛」。日本ではまつ毛の発見はとても遅くて、江戸時代くらいまではまつ毛は邪魔なものくらいの認識であったことがわかります。
貴族階級に限定して言えば、相手の顔を見るということが難しかった平安時代において一番大事なのは「髪の毛」でした。眉毛は剃り落とされ新たに描き直されたり、「髪の毛に付属するもの」という認識で大事にされていたようですが、まつ毛も瞳の大きさも認識されていませんでした。
江戸時代くらいまではうなじ、おでこの生え際をいかに美しくするかの方が重要で、「目の大きさが重要ではなかった時代」があったのです。
明治に西洋文化が流入して、そこから平成までは「目と眉」の時代と言えるでしょう。まつ毛はどんどん強調され、眉毛は短いスパンで流行を変えて行きました。
マスク生活が浸透した2021年令和の時代において、見える唯一の部分である「目&眉」の重要性が下がることはなさそうですが、おもしろいことに最近の漫画の世界の流行でいえば、目の描き方はどんどんシンプルになっていっています。まつ毛がどーんと生えている千早タイプから、まつ毛が3本のかなちゃんタイプに流行は移っていって、女の子でもまつ毛が一本も描かれてないないというキャラクターも珍しくなくなってきました。魅力的とされるものも移り変わります。
美しいとはどういうことか。
お金持ちの家の娘で色白であれば「美しい」とされた時代もあれば、紡ぐ和歌が知的であれば「美しい」とされる時代もありました。「美」の基準さえもあやふやだということを、歴史を少し学べば理解することができます。
「眉毛とまつ毛がちょっと無い」ということを、彼女の友達はひとことも「変だね」と指摘しません。「大人になったら困るんじゃ・・・」「眉毛ないのは不自然なのでは」という言葉が、大人の世界の設定で暴力的な脅しだったことがわかります。
慌てて眉毛を描いてあげて優しいつもりでいた自分が、どれほど「いま目の前の彼女」を否定していたか。
移り変わっていくものだということがもう分かりきっている「時代の価値観」で人の心配をするより前に、私はすることがあります。
Kちゃんが眉を抜いてしまうのは何故だったろうか?
見てるつもりで子供が出しているサインを軽んじていたんじゃないか?
たくさんの本を読み、たくさんの絵や文章を書き、嘘をつかず、弟妹をおんぶして走り回ってくれて、夜中に一人で勉強をして、苦手なものがあっても出された食事を残さず食べ、落ち込んでいるママを大きなレベルで励ますことができる。
彼女が持っている美点の方が、3年ごとに流行が変わる眉毛なんかより、よほど普遍性があります。
大人の意見に忖度して、心配しているママを安心させたくて「相談に行ってもいいよ」と言わなかった彼女のことを私は美しいと思うし、その美しさは私の価値観がそのままだと踏み潰してしまうものでした。
この恐ろしさと危うさ。「良かれと思って良くないことをする」性質は、時代の価値観などではなく人間の変わらぬ本質です。いつかKちゃんの眉毛が生えてきても、忘れないようにしようと心に決めました。
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末次由紀のひみつノート
漫画家のプライベートの大したことないひみつの話。何かあったらすぐ漫画を書いてしまうので、プライベートで描いた漫画なども載せていきます。
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