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#263 成長と心が折れるのは紙一重。たまたま折れずにやってこれてるだけ

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

よく成長にはオーバーエクステンション、つまり自分の能力を少し上回る程度の、背伸びをすれば届くくらいの負荷が必要だといいますね。

これは真実で、あまり頭を使わなくてもできることを何百回と繰り返しても、新しいことができるわけではありません。多少その同じことをやるスピードや質が上がったりすることがあっても、その労力をかけなくて済む新しい技術が生まれたり、それができる人が他にも沢山いたり、できることを誰も求めなくなってしまったりと、外部環境が変化することで、できることの価値は相対的に下がります。

だから、自分のできることに、やったことがないことをクロスさせて、徐々にできる幅を増やしていくこと、やり方を変えてみたりして、洗練させていくプロセスにおいて、自分ができることを応用できる機会が増えます。
また「こういう場合はこうすれば良い」という課題解決に向かう時の心理的ハードルが下がります。
この時、「成長している」ということになります。

だから、成長のためには「負荷」が必要、となるのですが、この「負荷」という言葉にも、もう少しグラデーションを持たせて、「適度な負荷」と「過度な負荷」を区分ける必要があります。

「適度な負荷」は人を成長させるけど、「過度な負荷」は人の心を壊してしまう。

ここでの「負荷」とは、担うタスクの量の大きさと、求められる質の高さの両面あります。
普通に考えて一人では捌けない膨大な量のタスクを背負うときや、一人では解決の手段を全く持ち合わせられないようなレベルのタスクを背負うとき、「過度な負荷」がかかっていると言えるでしょう。

また、「負荷の質」に関しては、「タスクそのもののレベルの高さ」というタスクが持つ「内面の質」と、「タスクそのものではなく、周囲が協力的かどうかという「外面の質」があります。

何となく、頭の中にある私の分類学はこんな感じです。

「量と質」と「内面と外面」で「過度な負荷」を分類

これらは、完全に独立しているわけではなくて、「過度な負荷」という時に、それぞれの要素が重なり合う部分もあるでしょう。

例えば、「量も多いし、求められる質も高い」みたいなこともあれば、「量も多いし、求められる質も高いし、周囲の支援も得られない」みたいなこともあります。

で、優れたマネージャーのもとで仕事をしていれば、成長につながる「適度な負荷」がかかって成長できるわけですが、残念ながら優れたマネージャーばかりではありません。

そうなると、上記分類の「過度な負荷」に直面するシーンにどこかでぶち当たるわけで、それは経験値が相対的に少ない若手の頃か、一気に責任が増す(ように感じる)昇進や転職のタイミングが多いわけです。

そんな時、「過度な負荷」に対して、自分で乗り越えざるを得ない状況になり、私も何度も「過度な負荷」を乗り越えてきたわけですが、本当に心から思うのは、「偶然とかもあって、たまたま自分は乗り切って来れたけど、自分の心を壊すのと、いつでも紙一重だった」ということです。

今日は具体的なエピソードもいくつかご紹介しながら、なぜ私がそのような考えに至ったのかについて、解説していきます。

トラブル対応で怒鳴られた経験

まずは、「質」のところで、周囲の支援を得られないと感じた「過度な負荷」に関するお話。

確か社会人2年目くらいの頃だったと思いますが、会社の忘年会か何かの飲み会があってかなり深く飲んでいた時に、社内のシステムトラブルの連絡を受けて、同じく一緒に飲んでいた先輩と2人で夜中に職場のマシン室に駆け付けたことがありました。

私もダブルチェックの役割で、先輩のマシンオペレーションを隣で見ていたのですが、いかんせん飲んだ後だし、深夜2時くらいだし、集中力が100%続くはずがありません。

先輩はいわゆる職人的な人で、Linuxのコマンドを目ではとても追えないスピードでダダダーと打っていくものですから、何をやっているか100%理解できていませんでした。

そして、一旦の対処は終わり、先輩はタクシーで帰宅しましたが、私はお金もなかったので、会社にそのまま泊まりました。

次の日の朝、またシステムトラブルが発生していることが判明し、忘年会後家に帰って次の日普通に朝に来た部課長たちが騒ぎ始めました。

そのトラブルは、昨夜のオペレーションが原因では?という話になり、「事実をトレースせよ」との指示がありました。

私は飲み会後に深夜も急遽勤務になり朦朧とする中、先輩が格納したであろうマシンの操作ログを見て、「このログから言えることはこうです。ただ、本人がこの場にいないので、このログが本当に正しいものかは、本人に確認しないと分かりません」と報告しました。

その30分後に先輩が出社してきて事実を確認したところ、「あ、そのログは一度やり直すものの前のもので、正確にはこっちが正しい」と発言したところ、当時の上長が「ちゃんとトレースしろと言っただろ!!」と全員の前で怒鳴りつけてきました。

当時は2年目で言い返す度胸もなかったですから、「すみません」と回答しましたが、どう考えても怒鳴られる理屈が分からず、それを見ていた周囲の部課長も知らんぷりでした。

年齢の近い協力会社の先輩が何人か「え、言ってることアホじゃない?」と「林は100%悪くないよ」とフォローしてくれたので、何とかメンタルも持ちましたが、その先輩がいなかったら、確実に理不尽さで心を折られていました。

もうこれ以上の期待には応えられないと感じた経験

次は、「求められるタスクの質」と「量」の掛け算で心を折られかけた話。

5年目くらいの時に、東南アジアの仕事で割と自信をつけ始めて仕事をぐいぐい回していた頃の話です。

システム開発では、エンジニア側で作ったものを試験して品質を担保してお客さんに受け渡すフェーズと、お客さん側で受け取ったシステムを試験して品質を確認するフェーズがあります。

お客さんに受け渡す際に、品質の話ではなく、明らかな仕様変更要望をバーターにして、「この要件が飲めないなら検収しない=支払しない」と主張してきたお客さんがいました。

海外のお客さんとの金の支払に関するタフな交渉で、1ヶ月くらいかかって社内外調整して、ようやく合意できる形に持っていくことができ、その後はお客さん中心の試験工程に入ったので「ようやく少し楽になる」と安堵していました。

しかし、その後のお客さん側での試験が思うように進まず、本来であればお客さん側が主幹のフェーズではあるのですが、その試験も上手くいくようにドライブせよ、との指示が下りました。

この時の気持ちは「20km走ってこい!」と言われてヘロヘロになってゴールできた!と思っていたら、すぐさま「もっかい20km全力ダッシュしてこい」と言われた気分で、さすがにもう期待に応え続けられないっす・・・という感覚でした。

それでも何とか食らいつこうと、帰国して週末熱を出しながらアウトプットを出すも「これじゃ全然ダメ」とNGを出され続け、HP残り1になりました。

それでも0になる前に、時間経過もあり何とかやり抜くことができ、その後はプロジェクトも完遂できて落ち着いてきたので、徐々にメンタル回復してきた感じでした。

まとめ

これらのエピソードに共通しているのは、たまたま自分は心を折られ切る直前で物事が好転のタイミングを迎えたり、そこでフォローしてくれる人がいて持ち堪えただけということです。

確かにこれらの経験により、他の人よりも早く大きな胆力がついた側面もありますが、そもそも折れてしまったら、後の祭りです。

メンタルタフネスには個人差がありますが、ストレス耐性が強いから折れない、弱いから折れる、ではなく、その時のコンディションと状況により、結果的にたまたま折れなかった人が継続できてるだけ、というほうがしっくり来ます。

まさに、成長と心が折れることは紙一重。
今向き合っているものは、「適切な負荷」なのか?と自問自答して、違っているのであれば、危険信号と判断しないと、かなりまずいです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

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