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やってみることは、すごさを知ること

なにかをやってみることで、すごさがより具体的に理解出来る。そういうことは、よくあるように思う。

今日、団子を作った。今回が2回目だ。

以前は、抹茶の団子を作ろうと思ったのに、お茶っ葉を買ってきてしまうというミスを犯し、そのまま作ってみたものの苦めなものができるという失敗を味わった。

その上、水の分量を間違えて、団子の元となる生地がベチョベチョのまま進行した。

自分で作ったこと補正によって、「まあまあ」という感想を抱くレベルには美味しかったけれど、どうせなら団子っぽいものではなく、団子を食べたいと思ったことを覚えている。

そんな経験を踏まえ、今回は抹茶チョコ団子を作ることにした。

お茶っ葉ではなく、きちんとお菓子作りに使える抹茶を買い、作り方もきちんと調べ、作る前には動画を見た。

そのかいもあって、今回は生地では失敗しなかった。ただ、生地を作った後に、チョコを包む工程があり、そこで苦戦した。

これがなかなかに難しいのだ。作り方のイメージは餃子に近い。

生地を少し伸ばす。その生地に砕いたチョコを入れる。餃子のように包む。ギュッとして、空気を抜く。そして、グルグルと手をこねくり回し、丸める。

これで1つ分が作れる。

ただ、何回かやると、最後丸くするために手をこねくり回している間や、空気を抜く間に、チョコを入れているところに穴が空いてしまう事態が起きる。

餃子で言うなら、餃子の身を包む生地に穴が空いて、中の肉が出ている状態である。言わば、ピンチである。

ただ、餃子の生地とは違い、元の生地があるのは団子の強みだ。生地を追加して穴を埋めて、なかったようにカモフラージュできる。

そうすることで、団子を丸める工程はクリアした。ただ、その後の茹でる工程の手順は、結果的には甘かったと言わざるを得ない。

食べた時、団子の生地がザラりとしたからだ。団子の生地は基本的にモッチリだ。それが団子の美味しさを引き立てていると言っても過言ではない。

それなのに、生地への火の通りが甘かったのか、生地がシャリっとしているのだから、団子の美味しさが少し下がったことは間違いなかった。

それに、いくつかは、食べると中のチョコが机の周りに飛び散った。大惨事だった。ポタポタとチョコが周囲にこぼれる。空気が抜けていないのが原因だった。

生地は上手くできた。ただ、その後の工程がダメだった。それが今回の団子作りだった。

こういう団子を作ると分かることがある。普段の市販されている団子、旅先で食べる団子のすごさだ。

市販のもの、きちんとしたお店で作られているものは、きちんと均等にモチモチしていて、美味しい。それでいて、安い。チョコなどの味付けもほどよく、中の空気が抜けていないなんてことは、起きない。食べてパニックという事態には陥らないのだ。

もちろん、自分で作ったものも十分美味しいのだけど、値段と美味しさを比較すれば、その差を歴然と感じてしまう。

こういうすごさを感じるには、やっぱり自分が作ってみなきゃ、やってみなきゃ、わからない。そうして、簡単に手に入るものでも、そこには、簡単にはできないことを簡単にやってのける努力や技術があるのだと、思い知るのだ。

団子はだれでも作れる。でも、自分で一度つくってみれば、見た目も整った美味しい団子をつくるのは一筋縄ではいかないことがわかるだろう。

もし、簡単に作れるとするなら、それはすごいことだ。誇っていい自分の強みだと思う。

というので、すごさがわかるのは、自らがやってみてからだなと思う。そして反対に、経験もせず口だけで「すごくない」と言う、思うのは、違うなとも思う。

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