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優等生から不登校になるまで

こんにちは、ゆをです。

以前に「周りには隠してきた小学校生活」という記事を書きました。
今回はその続きなので、よければその記事も読んでみてください。

この記事では主に中学校入学~不登校になるまでの約2カ月の事を書きますが、
小学校での学習状況とかも説明しながら中学校での出来事も書きたいと思います。

優等生気分だった小学生

前の記事と似た内容になりますが
小学2年生で学力が一気に上がりました。
小学1年生から勉強は決して嫌いではなく、
2年の担任の先生によく褒められたのでやる気がでたのか
授業参観などでも真っ先に手を挙げて
もう気分は優等生でした。

小学4年生頃から場面緘黙症になり、全く話せなくはなりますが
おとなしいのが逆に「真面目」と捉えられるようになり
周りから見ても優等生と見えていたと思います。

高学年になると算数で、学力別でクラスを分ける
「少人数制クラス」になるのですが
僕は少人数制クラスのクラス替えの度に
一番上の学力が高いクラスになっていました。
他にも、席の班のリーダーにもよくなったりしました。

もう完全に、「僕は勉強もそこそこできて真面目な生徒」
と認識されるようになりました。

なぜか有名人?中学校生活の始まり

地域の中学校に進学したのですが、その中学校は
3つの小学校の生徒が一気に進学してきます。
なので僕の行っていた小学校以外にも2つの小学校の生徒が
一緒の中学校になりました。

僕は自分の小学校の生徒しか知りませんでした。
しかしなぜか、「○○さん(僕の名前)、おはよう!」
みたいな感じで、知らない子から声を掛けられることが。
1人とかではなく、10人ぐらいいた気がします。
それも先輩にも僕を知られていて、すれ違うと声をかけてもらいました。

なぜ僕が別の小学校の生徒や先輩に、知られていたのかは不明なのですが
ちょっとした有名人にでもなったかの気分でした。
ただそれは嬉しくて、嫌とかは全然思いませんでした。

仮の学級委員になってしまった

中学校では学級委員があります。
僕は決して目立ちたいわけでは無いので
学級委員はやらないつもりでした。
学級委員を決めるのは5月なので、
4月は学級委員が決まっていないという状況でした。

しかしある程度クラスをまとめる生徒が必要
ということでなぜか、担任の先生に
「じゃあ○○君(僕の名前)、頼むよ」
みたいな感じで、学級委員ほどではないですが
クラスのリーダー的な役割に任命されてしまいました。

役割と言っても授業前後の「礼!」とか「着席」みたいな
日直的な仕事と
先生に頼まれたことを手伝う、ぐらいの
比較的簡単な内容でした

ですので学級委員会みたいなのには出ませんでしたし
まあまあ楽しく役目を果たしました。

5月には正式な学級委員が決まり
僕の役目は終えました。

50m走、クラス1位

僕は決して運動が得意なわけでは無く、どちらかというと苦手です。
ですが走るのにはそれなりに自信があり
小学生の時もリレーに出たりしました。
しかし、クラストップの速さではない…
と思っていました。

5月の50m走のタイム測定のことです。
まさかのクラス1位タイのタイムになりました。
同じタイムの子がいたとはいえ、一番になるとは
思いもしませんでした。

その結果、体育大会で重要な役目を担うことになりました。
体育大会でも役目をこなし、結果が良かったかは分かりませんが
クラスは優勝しました。

プレッシャーが強くなり…

仮の学級委員や、体育大会の役を任されたり
僕としては楽しい順調な中学校生活の始まり…
だと思っていました。

しかしその時すでに、多くのプレッシャーにかかっていました。
先生に仮の学級委員に選んでもらったり
体育大会にも選んでもらったのですから
失敗するわけにはいきません。

失敗、というと
忘れ物、テストの点数、体育の成績、歌の発表…
もう数えきれないほどの失敗を心配していました。

そんなある日、家庭科の授業で宿題を忘れてしまいました。
宿題を忘れた生徒は怒られる中、自分は「忘れました」と言うことが出来ず
結局、宿題を忘れたことはバレませんでしたが
また忘れたらどうしよう、忘れたら怒られてしまう
信用を失ってしまう…
と失敗ばかりを恐れるようになりました。

「出来ない」の連続

実は僕は泳ぐことができないのですが
クラスの人たちの一部には
「50m走は早かったんだから泳ぐのも得意なはず」
と思われていました。
そんな期待を裏切ることはできないと、プールの授業が迫る
6月はドキドキしながら過ごしました。

また音楽の授業では、場面緘黙症もあり
歌うテストで歌うことが出来ず、
理科の実験では実験器具を間違えて取り出してしまい
怒られてしまいました。

体育では体育祭が終わった後は、行進などの練習をしたのですが
皆と同じ動きが出来ず、だんだん不安が強くなってきました。

宿泊行事に参加できず

7月の初めに、中学校初めての宿泊行事がありました。
しかしその班は知らない人がほとんど。
結局宿泊行事に行くことは出来ず、休んでしまいました。

その数日後のテストには登校はしましたが
この登校した日、「あれ、よく考えるとみんなと僕って全然違う?」
という違和感を感じました。
友達も出来ず、失敗も多くなり、何よりも話せない…

この「違和感」がおそらく不登校の始まりの原因で
テストの翌日から、学校に行くのが嫌になってしまいました。
母は「休んでいいよ」と言ってくれたので休み続け
結局、不登校になってしまいました。

まとめ

今回は、優等生気分だった小学生生活の一部から
本格的に不登校になる中学校生活を書かせていただきました。
不登校になってからの様子は、別の記事で書かせてもらいます。

長い記事になりましたが、読んでいただきありがとうございました。

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