学ぶときのマインドセット

合氣道の教室だけではなく、こどもなら学校や他の習い事、おとなでも仕事や趣味など、我々の生活は毎日が「学び」にあふれています。新聞を読むこと一つとっても、知らない言葉や初めて知る事実はいくらでもあり、それを知ること自体も「学び」であると言えます。皆さんは新聞を隅々まで全部読んでいますか?中にはそういう人もいるかもしれません。一方で、最近は新聞を取ることもやめている方も増えているそうですね。私は新聞を読むときは、全体をサッと見て、興味のある記事や目に止まった記事は細かく読みますが、関心のないものは流しています。
この「目に止まる」というところ、結構大切なことだと思っていますが、今回はそこはスルーします。

我々の周りにある「現実」、というと、変えようもなく絶対的に存在しているもののような氣がします。「それが現実だよ」なんて言うときは、変えられないものだから受け入れるしかない、というニュアンスが含まれます。しかし、実際に我々が見ている「現実」というのは、自分が見たいと思ったこと、興味があること、または不安や恐怖を抱いていること、といった「認識」によって出来ている、と言われています。認識していない「現実」は、読み飛ばした新聞記事のように、氣づかず放置されたままで、存在しないことのようになっています。

これは実験してみると面白いので、皆さん是非やってみてください。毎朝の通勤・通学路、歩いていくときに、「今日は赤」「今日は青」など、日によって違う色を一つ指定します。そうして歩いていくときに、決めた色のものを見るんです。「赤」と意識して歩いていくと、いつもなら氣にも止めなかった赤いものが、いくつも見えてきます。見過ごしていたお店の看板や、近所の家の庭に咲いている花、駐車場に停まっていた高級車、などなど。普段、興味を持たずに見過ごしているものがいかにたくさんあるのか、改めて氣づくことが出来ます。思わぬ発見があったりして、楽しくなりますよ。色を変えて、何日かやってみることをお勧めします。

このように、我々は自分の見たいものを見たいように見て、それを現実であると認識しています。ネット上では、見たことあるものをデータとして活用して、類似情報を優先して流してきますので、近年ますますその傾向は強まっています。

で、やっと本題なのですが、何かを学ぶときに、この、「認識によって現実を作り出す」能力を使うことが、大変重要ではないか、と思っているんです。

例えば、料理の得意な人や毎日料理をする必要のある人は、テレビなどでプロが料理をする場面を見るとき、「ああいう切り方をするのか」とか「ああやって味付けするのか」とか、自分がそれを行うことを想定して、見ることが出来ます。そしてそれを真似して、完璧ではないにしても、実践することも出来ます。しかし、私はほとんど料理をしませんので(食べる専門です)、同じものを見てもただ「美味しそうだな」と食べる場面を想像するだけで、調理方法には目が行きません。結果、真似することも出来ないし、そもそも真似しようともしていません。(すみません)
しかし合氣道の演武などを観たら、どうやっているんだろう?と関心を持って、ある程度は想像することも出来て、結果、そこそこ真似は出来るでしょう。

これはもちろん、経験に左右される部分は大きいのですが、それだけでなく、興味・関心を持つこと、自分のこととして捉えること、そして何よりそれを「出来る」と思っていること、が大切なことです。

私にとっての料理のように、出来なくても良い、どうせやらない、などと関心のない姿勢、マイナスな姿勢では、せっかく機会に接しても「学ぶ」ことすら出来ません。反対に、「出来る」が当たり前という捉え方で接していたら、積極的に吸収することが出来、習得することも早いはずです。
特に我々おとなは、これまでの人生経験の中で、得意と苦手を決めつけてしまいがちですので、最初から「学ぶ」ことにすらならない場合があります。逆に小さいこどもは、そういった先入観がないので、一旦興味を持ったら、驚くほど早く習得してしまったりします。
これが、「氣が出ている」こと「素直であること」の素晴らしさだと思います。

心身統一合氣道の技に限らず、学校の勉強でも、家事でも仕事でも、「自分には出来ない」と思ってしまっては、その時点で関心が薄れてしまい、『学ぶ』姿勢ではなくなってしまっています。そういう心のままで学びの場にいなくてはならないとしたら、それはひたすら苦痛な時間を過ごすだけになってしまいます。合氣道教室はやめてしまえば済むでしょうが、学校や仕事など、離れるわけにはいかない場もいろいろあります。

そこで、まず「出来る」と思って、「やる」と決めてそのことに臨む。すると、今までとは見方が変わり、どうすれば出来るかを探して見るようになります。「赤」と決めたら赤いものが目に入るのと同じことです。
自分の能力がどうこうではなく、他の人が出来ていることは、自分でもやれば出来るのだ、という認識を持つこと。そうして「学ぶ」ことで、「現実」を変える力が生まれるのだと思います。

そういう、学びを得たいと思う心、氣を尊重して導くのが、心身統一合氣道でお伝えしていることです。
心身統一合氣道は、人間の能力を最大限発揮することと、相手の能力を最大限引き出すこと、が大きな目的であり、使命です。心身統一合氣道を通じて、こういう「出来る」マインドセットを手に入れていただくことが、皆さんの日常での「学び」を有意義なものにしていくことと信じています。

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