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疑わしい男は痴漢であるという極論について

「痴漢は犯罪です」

 そう書かれたポスターを久しぶりに見た(気がする)。ある漫画で、「それって当たり前じゃない?ニンジンは野菜です的なこと?」というセリフがあった。それはまったくその通りだと思う。

「痴漢は性犯罪です」

 こう書けば、まだマシだろうか。「ニンジンは緑黄色野菜です」くらいにはなったかもしれない。

 私は電車通勤だが、よく止まる。理由は、安全確認、大雨、人身事故、線路内への人の立ち入り……。職場では「線路への立ち入りって、どういう状況?」と、たまに話題になる。私も不思議だった。しかしニュースで、その一端を知った。それは職場でも噂になっていた。

「どうやら痴漢が線路に逃げ込んでいるらしい」

 動画も上がっていた。いい歳した男が逃げ回る姿は、さすがにみっともないと思った。 しかしSNS上では、やはり信じられない投稿が繰り返された。特に驚いたのが、

「冤罪だから、必死に逃げるんだろうなぁ」

 というようなもの。そして、このような発言と共に語られる映画がある。

『それでも僕はやってない』

 痴漢の冤罪によって、すべてを失う男のストーリー。この映画が話題になって以降、痴漢の冤罪に関して、多くの男性は大きな恐怖を感じるようになった。

「痴漢の冤罪で、絶対に捕まりたくない。しかもそれは、電車に乗る限り極めて身近なリスクである。そのための自衛として、少しでも疑われるようなことはしないでおこう。できるだけ女性には近づかないでおこう」

 現代の多くの男性は、痴漢の冤罪を恐れている。だから電車という人と人との距離が近い空間で、自分が痴漢と間違えられる可能性を、できるだけゼロにしようと日々、努力と工夫をしている。嘘だと思うなら、身近な男性に訊いてみるといい。

 満員電車で押しやられ、女性の側に立ってしまったとき、多くの男性は危機を感じて細心の注意を払う。 自身の手はもちろん、身体や荷物が、できるだけ他人に触れないように行動する。電車の揺れといった不可抗力で身体接触が起こってしまった場合は、すぐに謝まる。

 つまり何が言いたいかって。

  それは、電車で女性と席が隣になったり、満員電車で女性が側に居る状況になったとき、それを危機的な状況と捉えず、「運が良い」だとか「嬉しい」と感じる男は、既に心の中で痴漢をしているのである。 そういった男は自衛行為をとらない。自身の手や身体、荷物が女性に触れる可能性を、故意に高めようとさえする。私はそれを、意図的な痴漢行為だと言ってよいと考える。

 痴漢の冤罪を恐れる男性が多数を占める現代社会。その中で自衛手段を講じず、疑いの目を向けられた男。そのような男は痴漢と同等に扱っていいというのが、私の持つ極論である。


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