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ベタだけどスペシャルな自分になりたいよね。って話

おはよう。ゆうりです。

ベタだけど、スペシャルになりてぇ
って思ったから、急に書いてます笑笑

昨年から変わりつつある自分に
昨年末は耐えきれず、なんだか閉じこもり

ようやく今年から自分をちょっとずつ
出せるようになってきた私。

誰も興味はないと思うけど
そうゆう小さな些細な変化は
自分でも逃さないように
いや、逃せないのです私笑笑

だから、もっともっと
今までのように←発信して
弾けるようになりたいんだ!って
思ってしまって焦っている今日この頃。


でもでもちょっと待てよ。

「人は考えも生き方も変わる」
って自分でそう言ってきたじゃんか。

人は変わるんだよ。
なんで今変わってる自分にうんざりしてるのさ、


って思ったんだよね。

でも多分だけど
根っこの在り方もちょっと変わってきてるのかも。


長らく自分を自分で
抑え込んできたもんだから
それによって根幹も潰されてきたし
ねじ曲がってきてしまった気がする。

だからこそ、今の自分が吐き出すものは
なんだかトゲがあって、
誰かを傷つけていそうな気がしてならない。。


この感覚って実は
13歳とか14歳の思春期や反抗期のときの
感覚にすごく似てて。

お母さんはすんげぇこわいひとだったから
子どもの反抗期は手に負えないなんてことはなく←

とにかく叱られてそんでもって
その根っこの部分がねじ曲がりかけたところで
そこを叩き直されてたのよ笑笑

例えばだけど
とりあえず遊びまくってるし
フラフラふわふわしてるから
春休みはもう外出禁止!

とかね。

ちょうど中学のとき
泊まりに来てた友達と夜遊びしたのが
バレたのがきっかけだった気がする爆

外出禁止でさせられたことは
とにかくずっと家にいたり
ばあちゃん家に行ってばあちゃんに会ったり
家事をめちゃくちゃ手伝ったり
なんかして笑笑


思い出すと懐かしすぎてかなりエモい。

でもそうしてるうちに
自分が背伸びしてたり
ちょっと悪ぶるって結構疲れるな
とかってわかってきて

春休みが終わる頃には
なんだかすっかり丸くなってて

田舎のただただ丸っこいじゃがいもに
戻れてた気がする。

でも、その丸っこいじゃがいもに戻れて
一番嬉しかったのは多分私だった。

自分が自分で入れることの
気持ちの良さをそこで知った気がする。

その延長でずっと生きてたから

久々の思春期(←アラサーやめや)がきて
お母さんみたいに閉じ込める人もいなければ
叱咤激励してくれるみきみたいな人も
今近くにはいなくて。

でもとしきさんといる時だけは
そのじゃがいもに戻れてて

余計に自分のじゃがいも心が近くにいるからこそ
今生きる環境でしっかり出しきれない
もどかしさがすごい。。

うん。とどのつまり。

なんとなくだけどもう結論はわかってる。

どうすれば根っこのじゃがいもが
生き返るのか。

何が必要なのかわかってる。

こうやって、周りからなんとないことを
ずーっとじんわり考え続けるのが
私なのです。。

なんでこんなに考えるの?って?

それは本当に本当に自分の人生だから
自分が自分でスペシャルだ!
って思えるようになりたいから!!

結婚しようが、子どもが出来ようが、
自分の人生は間違いなく自分が主役だから!

好きな自分でいながら
自分の好きな人たちと一緒にいたいのだ。







だから、私は動きます。


#エッセイ  #思春期のゆうり

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