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「冬の葉っぱ」-子供に学ぶ常識にとらわれない見方-

おはようございます。
酒も飲んでないし、風邪もひいていないのに謎に顔が赤い西岡です。なんだろうこれw

さて、今日は子供から学ぶ常識にとらわれない見方の話です。

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冬の木にある葉っぱを見て、、、
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冬の木にある葉っぱは夏に比べたら少ない。
これ当たり前なんですが、、、

3歳くらいの子供には「夏が葉っぱが多い」という先入観がない。だから葉っぱがそこそこ残っている木を見つけると冬らしく見える木でも「葉っぱいっぱいだねー」と平気で言う。娘がそう言ってきた時「ほんとだねー」と返したが、本心ではなかった。僕ら大人は、夏を知ってるからこそ、冬の樹は寂しげに、物足りなく見えてしまう。

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日常にそんな先入観が転がっている
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貯金額が10万しかない。給料が18万円しかもらえない。友達が2人しかいない。昼飯の予算が400円しかない。休みが月に4日しかもらえない。おやつの予算が200円しか認められない。

どれも不満に思いがちです。
でもどうでしょうか?どれもないよりマシ。でも多くの人は不満です。でもこれを全て羨ましいと思う人だっています。

これを不満に思いがちになる理由は「当たり前」としている基準があるからです。概ね、経験上の平均値のようなものが基準になっていて、それを下回れば不満、上回れば満足という境界線が各々にある。

病気になった時に健康の大切さを感じるように、日常では感じることのできない「当たり前」が僕らに先入観を与えます。ここを意識的に下げていく、または無視して考えるという感覚は時に必要だなと思います。

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小さな幸せも些細な弱点も気づく目を
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小さな幸せは慣れると景色になります。
些細な弱点も慣れると景色になります。
景色になってしまうと感謝ができない、異変にも気づかない。常に先入観のない客観視ができるかどうかが正しく現在地を知れるかどうかに関わります。

葉っぱの数はは夏と比べる必要はない。何枚あるかで考えるべき。相対評価ではなく、絶対評価。直すべき些細な欠点もきちんと向き合う姿勢が軌道修正して僕らを正しい方向に運んでくれるんだと思います。
先入観は人を盲目にしてしまうと肝に命じて僕も正しい方向に舵を切れるように気をつけます。自分へも言い聞かせです。

#偏見 #先入観 #客観視 #相対評価 #絶対評価

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