見出し画像

誰にも言えない いつかの誓い、それだけが僕の誇り

 流行曲から再生数一桁、更には国境を越えて頻出な存在「君」。皆さんはこの「君」に如何なるイメージを重ねているのだろうか。現実で片思いしている彼女のことだろうか、それとも付き添う関係になった彼のことだろうか。僕にはそれが難しかった。
 歌詞に現れる「君」は、世界に存在している「僕」(これは素直に自分)と「もう一人」というスケールで話が進むことが多い。流行した某作品の影響で通じやすいと思われるが、いわゆる帳のような閉じた空間に二人でいるかのような、そんな雰囲気。冬の寒さを白い息を吐き合うこと、夏の暑さを愚痴ることで共有する存在。
 もちろん全てにおいてそうではない。自分のことを全く分かってくれない相手を、過去に囚われて時が止まった存在である相手も、等しく「君」である。だが、自分の脳内シャングリラに都合よく登場させて登場人物の一人にするのは同じだろう。そんな人物を当てはめることが、なんだか僕には難しかった。
 僕は歌詞を曲を評価する際に、歌詞がかなり大きなウェイトを占めるタイプである。好きなアーティストなら歌詞を先に見てから想像を膨らまし、音を流すといった具合に。今回のタイトルである「誰にも言えないいつかの誓い、それだけが僕の誇り」という文言はASIAN KUNG-FU GENERATIONの名曲、ムスタングから引用している。わざわざ引っ張ってきているところから察せられると思うが、僕はこの曲がとても好きだ。絶望的な状況であり、自分がとてつもなく情けない存在だと自認しながらも、それでも軸となるあの時を思い出す。それが解決になるわけでもないし、救いなわけでもない。ただ、自分の脳内の一端を占めてくれている、それを確認するだけで少し上を向ける、そんな歌詞。
 そんなムスタングの歌詞はパートごとに変わる。初めは「忘れられないいつかの誓い、それすら途絶えて消える」、次はタイトルでもある「誰にも言えないいつかの誓い、それだけが僕の誇り」そして最後に「忘れられない君との誓い、それだけが僕の誇り」と変化していくわけなのだが、自分の人生と照らし合わせた時に一番、ふっと入り込めるのが二つ目の一文だった。ここまでの流れで注目して貰えると思うのだが、三番目に「君」がいる。その扱いが僕には難しかった。
 そもそもの話、この曲は浅野いにお先生の作品「ソラニン」を読んだアジカンの後藤正文さんが感銘を受けて作ったはずの曲だ(違っていたら申し訳ない)。故にこの場合の「君」というのはソラニンの作中の彼のことだろう。だから、そう受け取るべきなのかもしれない、作中の出来事を思い聞くべきなのかもしれない。ただ、それは僕が聞いている意味になり得ない。僕が曲を聞く意味、それはなんの生産性もないのだけれど、自分の経験との擦り合わせによって曲に深みを持たせること。自分にしか出来ない音楽の楽しみ方をすること。だから、ムスタングの「君」は自分で創造したいという願望があった。ただ、僕の十数年の人生経験の中で、人と真剣に向き合って言葉を尽くし約束事をした経験は今のところない。そんな気付きがあった時、僕はムスタングの全てを味わい尽くせないと思った。
 誤魔化すなれば、「君」を過去の自分と置き換えることによって整合性を保ったりする、「歌詞を変えずに解釈を変えろ!」みたいな擬似Steins Gateも可能ではあるのだが、そういう合わせ方をしている時点で、僕は無理をしている。今のところムスタングにおける「君」は、白いモヤのようなもので人型でもなければどちらかというと情景である。ここの景色に「君」が居れば完成する、といった風の。 
 僕のムスタングは未完成だ。だが、言葉を尽くして互いを認め合えるような「君」と出逢えた時には、或いは。
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?