旅に行けない話。

2011年のはなし。

どうしても物が捨てられない性格だと改めて自覚したのはこの時なのかもしれなかった。

10年近く在籍していた事務所を追われ、友人たちは去り、
たくさんのものを失ったと感じた時。

その孤独感から余計に持ち物に執着していたように感じる。
自分の周りを持ち物で取り囲んでいないといけないように感じていた。

とはいえ、
新生活を始めると決心した以上それらを手放さなくてはならなかった。
なのである。

事務所を辞め、ひとりでやっていくことに決めて
多額の負債も、夜の仕事で何とか返済の目途がつき始めていた。

正直に言うと、夜の仕事はもうしたくない。
仕事そのものが嫌という訳じゃないけど、夜の繁華街がとにかく苦手だった。

そんな場所で育ったのだけど、

もう好きにはなれなかった。

田舎のクラブでボーイのバイトをして、店を任されるようになって
でも、職業にする気にはなれなくて。

得意ではあった。

接客も、経営も

とにかくすぐにこなせた。

得意ではあったけど、好きではなかった。

だから辞めて俳優に専念して、演出家としてもそこそこ仕事ができるようになって、

ホッとしていた。

夜は静かに過ごしたかった。

でも、僕の失敗のせいで、そんな生活をしてられない状況になっていた。

嫌とか言ってる場合じゃなかった。

負債を何とかしなくてはいけなかったから、また夜の店に戻ることになったけど、同じような仕事はなくて、ホストのような仕事を選んだ。

始めは苦労しかなかった。

だって、29歳の終わり。その店のマスターと同い年。
中州はまったく知らない世界。お客としても来ていなかったから、身内意識の強いその場所では居場所がまったくなかった。

毎日が誰かの噂話。
それが誰か知らないものとしては愛想笑いするしかなかった。

僕はどうしたら稼げるのだろう?

当然自分で稼がないと歩合だから給料はない。
時給だけではとてもやっていけない。

毎日、尋常じゃない量の飲酒をするので、胃薬代で給料なんか吹っ飛んでしまう。
金を稼ぎたくて勤めているのに、これではまったくだった。

自分にはいったい何があるのだろう?

自問自答しつつ、いつの間にか酔いつぶれて朝を迎えて、そのまま別の職場に行く毎日だった。
そんな生活だったけど、突破口はある。

その店では僕は最年長だった。
しかも口下手。

そんな僕の需要。

それは「話を聞くこと」

ひたすら客のグチを聴く。

それは得意だった。いや、他になかったと言ってもいい。
毎日、話を聴く。そして頷く。

人は、話を聴いてほしいと感じることがある。
それは決して少なくない。

そこに僕はピッタリとハマった。

年長者なので、自分から主張することはなく、
アドバイスをそれほど重要としていないことを知っていた。

ただ、聞くだけ。

そして絶対に否定しない。

どんなことにだって、人に話すことは不安だ。
それが「いけないこと」ならば、話したくもない。

しかし、聴いてほしい。
一緒に抱えて欲しい。

それをひたすら聴く。

僕はその店でその立ち位置で居場所を創っていった。
ようやく収入も上がり、このまま自身の店も・・・なんてことが現実になっていった。

でも、ぼくはやっぱり夜の繁華街が苦手だった。
いまもそう。

返済の目途がついた時に、店を辞した。

心には、ひとつのことが支配していたと言ってもいい。

「渡米」

たくさんの事を無くしたから、いまゼロの状態で何かを始めるのなら
思いっきり環境を変えてみたくなった。

海外は実力主義。
言い換えれば「コネ」が通用しない。いつも「コネ」に泣かされてきた僕にとって最高の条件だった。

目的地はニューヨーク。

明確なプランは無かったけど、30歳のぼくには勢いがあった。
演劇研修の時にも何とかなった。

英語なんて行けば何とかなる。

そう、
何とかなると思っていた。

とても蒸し暑い夜。僕は荷物の整理をしていた。

その僕の想いを瓦礫が押しつぶした。
テレビから伝えられたワールドトレードセンターの崩壊。

2011年9月11日
同時多発テロ。

僕の渡航計画は、途絶えてしまった。

何とかならない事はある。


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