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時代が進化しても心配していない僕の秘密(オンラインサロン記事より)


こちらに投稿するのが久しぶりなのです。

と、言いますのもこちらのマガジン購入者はオンラインサロンにご招待していますので、そちらに毎日投稿していました。

それで「毎日書いてるじゃーん」と思いきや、noteはただの決済システムになっていたので、さすがにそれは良くない(;^_^Aと思いましてこちらに投稿。

今月の初めに書いたオンラインサロンの記事です。Office ELANのオンラインサロンはこうした記事を毎日(ホントに毎日です)投稿しています。

それを朝刊のコラムのように楽しんでいただくのもありがたいですし、様々なプロジェクトを楽しんでもらうなど楽しみはいろいろ。

もし興味がございましたら下記のリンクからご説明をお読みください。

https://www.art-elan.net/salon

ではコラムをどうぞ。



おはようございます。

普段はデバイスにあまり関心を持たない僕ですが、それでも新しいiPhoneなどはちょっと気になってしまいます。

スマホ全般に言えることですが、最近は性能の目玉にカメラ機能の充実が挙げられます。

僕自身、撮影でiPhoneを活用することがあるのですが、本当にすごい。

正直、Apple社が本気でカメラを開発したら間違いなくカメラ業界の勢力図はひっくり返るでしょう。頑張りましょうSONY!(ちなみに僕はCANNON派)

実際に今のスマホのカメラ機能の充実はすごく、コンパクトデジカメはもう必要なくなっています。解像度、利便性、機動力すべてをとっても見事としか言いようがありません。正直、ここまで発展するとは・・・。

これによって、新しい職業が生まれています。

「スマホカメラマン」です。

一時期、「カメラ女子」なんて言葉が流行って一眼レフを持ち歩く女性がたくさんいましたね。時々「そんな高級品をそんな扱いかよっ!」なんて人も見受けられましたが(笑)

それがとても簡単な操作で、しかも手軽に持ち歩く(なにせスマホですから)ことが出来、撮った後の加工もらくらく。そしてすぐにインスタグラムなどアップできる。

かつてのプロの技術だったものが、今では修練も必要なく誰にでもすぐに出来る時代になりました。

何十万もかけて専門学校に行った方々に哀悼の意を捧げます。

このように、時代のスピードは物凄いのです。

いま、巷ではスマホ写真の取り方みたいな講座が大流行り。

プロもびっくりの名作が気軽に撮れるようになりました。

「カメラマン」も以前は偉そうに一眼レフを何基もぶら下げていたり、写真館で二・三枚撮って10万円なんてこともありましたが、今では多くの写真館やスタジオが潰れたり、激安価格を掲げたり。

そこで伸びているのが「スマホカメラマン」

僕の周りでも演劇関係や音楽関係でもほとんどがスマホで撮影。友達に頼むとか、格安の「スマホカメラマン」に頼むとかになっています。

機材の扱いが簡単になったので、あとはセンスが大切になってきます。

友達同士だと笑顔も自然になるし、気軽さから依頼もしやすい。

撮るのも観るのもスマホになるから、極端に画質にこだわる事も無いですから、悪条件でもスイスイと撮れます。

良いことづくしです。

プロのカメラマンは不要になってくるでしょう。

撮り方講座を開いたところで、どんな状況下でもそこそこのクオリティの写真が撮れるので、アングルの作り方とか、照明の具合とか正直ネタとしてはあまりありません。

どんな講座もネタ切れで水増し講座にならざる得ないでしょう。

なので、手を変え品を変え、付属品に凝っていくしかなくなるでしょうね。

あれ?

ゆーりママは寫眞作家でしたよね?大丈夫なの?

ぜーんぜん(笑)

こんな時代が来ることはとっくに読めていましたし、正直まったく困っていません。

去年から撮影の依頼を極力お断りしていました。

現在、撮影のお仕事は

増えましたっ!

なーぜーーー!?

そこには【価値】が関係してきます。

いま、インスタント食品も冷凍食品もとても進化していて安価で中々美味しいです。

それでも、レストランに行くことは止めません。

それは何故でしょう。

そこに【価値】を感じているからです。

お店で何かを食べるという「経験」を買っているのです。

支度しなくていい、後片付けしなくていいも含めて大切な経験。

お店の雰囲気、一緒に誰かいる時の空間、サービス。

それらをひっくるめて、「外食」という自分の物語を語ってくれるという【価値】

それと同じことが、僕の写真にあるという事です。

篠原有利に撮られるという【価値】

僕の写真は『ピクセル文学』と位置付けています。

そこにあるのは「愛」です。

愛情溢れる撮影者のフィルター(視線)を通して、見えてくる被写体の姿は「愛されている自分」が写ります。そこにいるのは、本来の自分。愛の中に生きる、本当の自分。

誰の子でもなく、誰の妻でもなく、誰からも所有されていない、束縛されていない、

ただ、あるがままに在る。

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