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「猫を棄て」て闇を受け継ぐ

「猫を棄てる」を読んだ。初めて読みきった村上春樹の本である。ネタバレも含まないと話も書けないのでネタバレしたくない人はそっと閉じてください。

いままで村上春樹の本を最初から最後まで完読したことはなかった。トラウマレベルで覚えているのは、20歳ぐらいの夏休みに意を決して「海辺のカフカ」の上下巻を買ってきて上巻3P目で脱落したことだ。それ以来手にとったことはなかった。話題になった「1Q84」とかも読んだけど活字が自分の目の前を通り過ぎただけで、覚えてるのは青豆の冒頭の殺人シーンだけである。

その後、内田樹先生・平川克美先生の「沈黙する知性」で「いかに村上春樹から快楽を引き出すのか。そして世界の地下二階にいって闇に出会ってもどってくる職能民である」といっています。意訳なので意味わからないけど、面白い本なのでお時間ある方は是非。

コロナ禍のさなか平日だけこっそり空いているジュンク堂池袋書店に行った時に、上からすべりおりるように降りてきて、本を持ってほくほくしている私が、唯一行かないフロアーの3Fの文学コーナーのエスカレーターの前に「猫を棄てる」が置いてあり、2Fまで降りて戻って買った本である。

買って帰ってきてもなんとなく手にとるのを躊躇っていたのだけど、相方に先に読まれてしまい、「半日で読めるよ」といわれて、意を決して読んだわけであります。

冒頭から猫を棄てに行く話なので、個人的には嫌だな〜とかおもったけどなんてことはなく猫は戻ってきています。父の生い立ちや自分の記憶のあいまいさについて書いた後、最後に、登った松から降りられなくなった別の子猫の話をもって終わります。わたしはここからなにを読んだのだろうか。そういえば、相方が買っておいてあった短編の「パン屋再襲撃」を読んで、しばらくしてから「パン屋襲撃」という話の後日談だったということをしったことを唐突に思い出したりしていた。

棄てられて自分より先に帰ってきた猫と、降りられなくなっていなくなってしまった猫。話としてはそれだけの話である。しかし、猫と本と一緒に暮らした村上春樹にとって、猫を棄てて戻っていた猫は、父親が子供の頃に養子に出されて戻ってきた遺伝的に受け継いだと言うこと、死んだ猫は、戦争でしななかった父が死んだかもしれない未来を、遺伝的に受け継いだということ。

ぼくらは親から闇を形式的に受け継ぐ儀式をしないと生きていけないし、その闇を子供に受け継ぐことがあるのかもしれない。でもそれは後日談的に、しかも記憶の誤合成で都合良く書き換えられてしまいなんだったのか、身体感覚として残るのみになるんじゃないだろうか。

まあともかく村上春樹が読めて良かった。

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