第四章 冬のぬくもり 5


   5

「ちょっと窮屈かな? 大丈夫?」
「先生こそ」
「私は全然平気。遠慮しないで、脚をのばしたらいいよ」
「のばしてます。みじかいんです、わたしの脚」
 真衣がおどけてそんなことをいうのが、私にはたまらなくうれしい。
「そんなことはないだろう。きれいな脚だ」
「自分の脚に劣等感があるんです」
「どうして?」
「バレリーナみたいなまっすぐな脚にあこがれてるのに、膝が出てるし、太ももと太すぎるし」
「全然そんなことはないと思うな」
 真衣の脚はすらりとのびて、輝かしく、まともに見られないくらいだ。
「それより、先生にごめんなさいといいたいんです」
 私はびっくりしてたずねかえす。
「なにを?」
「わたしが泊まったせいで、先生のいつもの大事な朝の仕事ができなかったです。いつもこの時間に一番大事な仕事をされるんでしょう?」
「そうだけど、仕事が一番大事なわけじゃないよ」
 真衣の目が大きくなる。瞳がまっすぐに私を見る。
「昔はそうじゃなかったけど、いまは、いまこの瞬間、自分はなにを一番大事にしているんだろうかということをいつも感じたいと思っているんです」
「あ、戻っちゃった」
「え?」
 なんのことかわからず、私は訊《き》きかえす。
「ごめんなさい、いきなり。先生、ずっとわたしに丁寧語《ていねいご》というんですか、ですますでお話になってらしたんです。でも、いまはそれがなくなって、普通に話してくれていたんです。でも、また戻っちゃった」
「そうなんですか?」
「ほら」
 私は笑ってしまう。
「自分ではわかりません。自分がどういうふうにしゃべっているのか、意識してないんですよ」
「いまは丁寧語で、さっきは普通でした。なにがちがうんですか?」
「わからないな。なにがちがうんだろう。いわれてはじめて気がついた」
「わたしみたいにうんと年下の、未熟な人間にむかって、丁寧な言葉使いをしていただく必要なんかないと思うんです」
「そうだろうか」
「でも、先生はいつも丁寧に話してくださる。そして丁寧に扱っていただける。どうしてなんですか?」
「そうですね……たぶん……」
 私は記憶を思いかえして、さぐりながら答える。
「昔は年齢とか、社会的評価とか、性別とか、いろいろな上下関係をすごく意識していました。自分より上だと思う人間には丁寧な言葉を使い、下だと思う者にはぞんざいなものいいをしていたような気がします。でも、事故にあって身体が動かなくなってから、人と人の関係についてずっとかんがえてたんです。つまり、まったく自分の身体の自由がきかない、人さまのお世話になるしかない身体になってしまったとき、人と人の関係というのはそもそもなんだろうということをね」

親密な関係における共感的コミュニケーションの勉強会(11.13)
共感的コミュニケーションでもとくにやっかいだといわれている親密な関係であるところのパートナーと、お互いに尊重しあい、関係性の質を向上させるための勉強会を11月13日(金)夜におこないます。

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