見出し画像

ウチとソト、と 2024.7.12 fri

昨日の夜は強い雨と雷が続いていた。
時折、ピカピカピカっと光る雷は空を明るくするのだけど、雷はこんなに明るかったかなと思いながら一時車の中から深夜の空を眺めていた。

カミナリはなんばそがん怒りよらしたどか。
怒りよったんじゃなくて、歌いよったんだろうか。
空を眺めていたら激しい雨に心配になりながら、しかし怖さやざわつきよりも、空が今日どうしてこんなに鳴っているのか考えていたら、放られるような平穏な気持ちでいたのは自分でも不思議だった。

3日前の火曜に水俣へ帰ってきた。
2週間弱上京していたのだけど、滞在中も思ったより毎日何かしていたら一瞬で終わっていたように思う。

こういう時、いつも考えることがある。

それは、"ウチ"と"ソト"のこと。

単純に、活動や住んでいる地域の内側と外側でもあるし、時々心情の内と外だったりする。
今回は、単純に地域の内と外。

ずっと熊本の中にいたり、活動をしていると地方のデメリットばかり見え、コンプレックスも増える。それは今に始まったことではなくずっとだ。
だけども、出れないことをウジウジ言ってもしょうがないだろ!と自分の肩を叩いて、逆に土地に在ること、地方のこの感覚で撮って、クオリティだけに限ったことではなく、一番の強みにできると思った。そして今もそう思っているし、それを引き上げたい、ということに変わりはない。

だけど、地方の難しさは、物価や偏差値の差もあるが、場のなさから出会いも限られる。たとえばギャラリー1つにしても、ギャラリーに所属し、定期的に見せる場、みに行ける場があることも大きく違う。
そして都心やある程度都会で活動の土台を作って地方へ移住などをする分には、地域に馴染むまでや場を作り直していくという意味で苦労はあるかもしれないが、元々作った人間関係や仕事が活かせることも多いだろう。
だけど私は完全な逆輸入版で、こちらにいたままでは、自分が出会っていきたい人とは出会っていけないし、この物価で生活をしながら都心で発表をというと機会を選ばない限り繋がりもせずただ出費が嵩む。
何より、外から来る人へは何も言わないが、こちらから外にというと、地元でのあらゆるマウントを取られ出る釘は打たれていく。
田舎の生きづらさは山のようにある。

でも今回、それぞれがそれぞれの場所で地道に活動する仲間と話せて、私は自分で自分の場所を選択し、そこに暮らしながら撮影している、その選択で良かったような気がした。

なかなかに難儀な道で途方に暮れることも、ここだけでは補えないこともある。
一方で遥かに豊かなものが存在もしていると思っているし、それは来て数日で受け取れるものでもないからここに在ることを選択している。ただいかんせんわかりずらい…笑
言葉にしてしまえば、易く、やけに淡白に思える。
いや、言葉にしてもしなくても、行為としても難しいことではなく単純だろう。だけども何かが違う気がする。
この胸のざわつくような、ざらつきの感触をどうにも言葉にはしがたい。
そのウチガワをなんといおうか。

ソトとウチ、をなぜ意識してしまうのか。
最初はそんなわかりずらさは外からどう見えるのか、国を超えてみた時に、もっとわかりずらいようにも思えたし、逆になぜそこまで汲み取れるのか、または自分の思った以上に想像のつかない発見があったからだ。

何より、私は、ドキュメンタリーと言っても何かを訴えたい、伝えたい、世界を変えたい、なんてこともなく、逆にそうした言葉には危うさを思う。
相手やそことのやり取りで受け取ったもの、思ったことを綴りたいけど、そこに正義や義務は存在しない。
ひと昔前や今も一部の運動のようなそうした思想が強いものもあるが、ドキュメンタリーという言葉で定義を固められるほど、形式があるわけでもないと思っている。
むしろ、もうずっと、近隣での"写真家"や"ドキュメンタリー"ということへの捉え方の枠が狭すぎるような気がして、その言葉を使うことをやめたいし、言葉を使うかどうかを考えることも窮屈なんだ。

だけど、写真には相手がいたり、場所、カメラを向ける先がある。
受け取る先がどう思うか、何より、内側ばかりをみていると近すぎて見えなくなることもあるし、自己完結も違う気がする。
外と内の接点、外の人が何かに出会う、知るきっかけにもなるかもしれない。だから知らない人がどう受け取るのか、それを知ることは大事なようにも思えた。

だけどまず、動き出す時は知りたい、みたい、というところから始まる。
好奇心だ。でも好奇心だけで踏み込むととても失礼なところもあるので、気をつけた方がいい。
だけど、動き続ける動力も私の場合はその積み重ねだ。
"知りたい"ことを知っていったら、また別の"知りたい"がやってきて、嗚呼面倒だな…なんて思いながら、でもやっぱり気になるから"知りたい"と動き出す。それが、"知りたい"族ではなく、"やってみたい"族であれば、失敗してもいいから一度は必ずやってみる。
面白かったりハマれば続ければいいし、つまらなかったら三日坊主でいい。
私は"働く"という行為に小さな頃からなぜか憧れていたので、大抵興味がある仕事は本当に三日坊主なこともあったけど、とにかくやってみた。
それ以外にもとりあえずやってみて辞めたことは数知れず。

それがたまたま、私の場合に共通したのが写真、だろうか。
だからたまたま、続いているし、むしろ生活や脳内を占領してしまった。

そうした体内の循環器の中に埋め込まれているので、今更なんで写真を…と言われるととても難題に思えてしまう。

私は写真を続けていたら、得はしないことは当の昔に気づいてしまったし、得をしようとすると不本意なことを強いられる場合が多い。得をしない変わりに徳を積みたいと思う。
その徳は、人徳とか結局得するようなことではなくて、社会の中で、相手がどんなことを思っているのか、考えているのか。
または、そこにどんな暮らしがあるのか。
辿っていって、理解とまではいかなくても、そこにいさせてもらうこと、少し触れることができたら、人生にとっての徳のように思う。

だから、何もしなくていいということではなく、表に出したり、人に会う努力はしたがいいと思う。今もそうは思うものの、自然、という言葉の通り"自ずから"動き続ける必要はあれど、その時は"然るべき"時に来る。ようにも思う。
もちろん、然るべき時は永遠に来ないこともある。
少し賢いと、然るべき時を先読みして動くこともできるのかもしれない。
そういう器用さを欲してはないけども。
だけど、たとえ然るべき時が来ても、何もしていなかったら、通り過ぎる。
その時のために準備する、というよりも、自らの意思で動いていたら、"やってきた"ということの方が多いのかもしれない。

だから"備える"こととは少し切り離して、自分が今何をしたいか、という素直な直感に、ではそれには何が必要か。今何をすべきか。考えてただ動くだけ。簡単なことだ。
昔専門学校のちょっとスピリチュアルな先生が担任だった。
優しい口調が呪文のように聞こえ、大抵その先生の授業は寝ていたと思うのだけど、ある日、授業中に言っていた。
腰の付け根あたり、背骨と尾骶骨の接点というのか、そのあたりの反応を自分で知りなさい、と。相変わらず不思議な人だ…なんて思って適当に聞いていたけど、最近それがよくわかる気がした。
そこの部分の反応が前に出る時は、自分の意思も前向きに捉えている反応。逆に引くような時は、自分自身が何か腑に落ちていない反応。

何事も先がどうなるかわからず、何かを成すには険しさもある中で、迷いの答えはは自身の中に存在する。最近の大変だけどやり甲斐あり楽しかった仕事と、腑に落ちないまま終えた仕事の差とこの体の反応が一致するように思った。決断する時のサインになる。

そして続ける、積み重ねることが肝要だけど、対価や見返りを求めると続かない。対価に加え、社会的な立場が重なり、現実的なことが見え30代前後で大半が辞めていく。仲間はどんどんいなくなった。
私は結果よりも、続けるためにはどうしたらいいか、写真をただ続ける、ことだけを考えてきたので、多少それ以外の犠牲はどうでもいい。自分が続けることを選択したから。

[結論]を作り、結論へ向けて動くと、途中の段階のずれが"ずれ"になる。
でもそれはそもそもずれなのか?
続けた先に結論があって、結論は1つではない。そして正解もない。
その過程が結論を作り出す。
結論という言葉を用いることがいいとも思わないけども、結論ばかりを先に求めすぎているのはなぜだろうか?

しかし、私は長いこと、動く順序を少し間違っていたような気もする。
自然に任せるより、不自然、なことをしようとしていたようにも思う。
結論を作ろうとしていた気がする。

内と外の違いを知るのは一つだけども、そこで何か変わるわけでもない。
だけど変えようとしていたような気もする。

思ったことを表していく、と思いつつも、伝っていけばという小さな願望はいつもあるし、表に出した時に、出会って欲しいとも思っている。

枠の狭さに窮屈だとしつつ、枠を作ったのは自分かもしれない。自分で枠をなくすこともできる。

頭の矛盾を解きほぐせないでいる。

雨上がりの朝、ふと思った。
何も考えずに撮りたい。
撮る、ことに加え、見る、ことの量だけは自分に課し、
まずは無になりたい。

考えるより、まずは動く。
でもやっぱり考えすぎる。
無になりたい。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?