「事実」と「解釈」を分けて考える
スナップマートの読書会で読んだ本『完璧なリーダーはもういらない』に納得の表現がされてあった。
「事実」と「解釈」を、きちんと分けて認識
私はつい、「そうであってほしい」「そうだろう」なんてことを、
いつのまにか[事実]かのように記憶してしまっていたことに気づいた。
話したり聴いたりしていて気持ちの良いように話を綺麗にしたり、または綺麗な部分だけを切り取っていたのだ。
論理よりも感情で動く癖のある私はやたらと美談が好きらしい。
例えば「地方の若者は発信したいと思っているのではないか、その場がないだけなのでは?」というのは、あくまで地方に住む若者の話を聞いた上の私の仮説に過ぎない。
でも、いつの間にかそれが仮説というよりも事実に移行していた気がする。それが間違いだった時、活動していく指針を失うからだ。
それに、いろんな場や就活の面接でこの話をしていくうちに、少しずつ少しずつ純粋な事実に色付けしてしまっていたことも否めない。
これってすごく危険なことで、この私が事実だと勘違いした「思い込み」をもとに進めれば大きくそれていってしまうからだ。
大学の授業で、パリのディズニーがオープン当初苦戦した理由は
「他国ではチケットの値段がこのくらいでもヒットしたから、パリでもイケるだろう」という仮説を、
いつの間にか事実に転換して進めてしまっていたからだという話を聞いた。
また、『完璧なリーダーはもういらない』の中で
事実に意識を向け、解釈には必要以上にナーバスにならない
という話もあった。
「事実」と「解釈」を分けて考えることは、自身のメンタルをもコントロールするのではないかと思う。
この本では、私がフワッとなんとなくわかっていたことがビシッと言語化されていて本当に読んでよかった!
(読書会のススメについてもまた別記事で書こうと思います!)
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