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あなたが"本質"だと思っているものは本当に"本質"ですか?

「あなたがふと話した言葉が、ある時ふいに歯車みたいにハマって、自分の中のモヤモヤが晴れていくの」

僕はよく相談にのることが多いのだが、こんなことを言われることが多い。

「ほとんどの人はネガティヴな発信しかしていないけど、yuukiさんの言葉は本質を捉えたような言葉だなって思う」
「トゲがあるけど、言葉のどこかに芯がある感じ。なにをぶつけても大丈夫だって思える安心感…」

親しい友人ではなく、初めて会う人に自分
の印象を聞いた時も同じことを言われる。

僕は、あまり"他人が思う自分"というものに、あまり興味はないのだが、あまりにも同じことを言われるので自分なりに分析してみようと思う。

「本質」「芯」「トゲ」というものを僕の言葉からなぜ感じるのか"僕なりに"考えてみる。

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僕は、自分の「軸」というものをかなり意識して、大事にしてきた。どっかの本で書かれているような「自分の軸を持ちなさい」みたいな言葉に影響されたわけではなく、自分が"なければならないな"と思ってずっと意識してきた。

では、なぜ"なければならなかった"のだろうか。それは、「自分が譲れるもの」と「自分が絶対に譲れないもの」を作るためだ。

これはなんにだって言える。企画など、何か物語を作り出す時や、仕事で交渉する時や、コミュニケーションをする時など、生きていくうえで人間は、何かをお互い譲り合って生きているのだ。

例えば「優しい人」。優しいとよく言われる人は、「自分が絶対に譲れないもの」まで受け渡してしまってるのかもしれない。だから他の人よりも気持ちが右往左往し、他人の言葉により傷ついていってしまうのだろう。

僕も傷つきやすい性格だが、現在は傷つきにくくなりつつある。それは「譲ってもいいもの」しか他人に譲っていないからだ。だからこそ、僕が信頼できる人というのは「絶対に譲れないもの」を譲れる人なんだろう…という推測もできる。

そう。僕は、これを自分自身だけではなく物事に気持ちを移入して考えている。

どんなことが起こっても崩れないもの

これが僕は「本質」という言葉の意味だと思っている。例えば、コロナで状況が変わってしまったと騒ぐ人が多いが、"コロナごとき"で状況が変わってしまうものというのは、その物事の「本質」ではないのだ。

僕は屈強な意味での物事の「本質」を探している。だからこそ他人とは一線引いた考え方をしているのだろう。

そして、そういう意味で「本質」を捉えている言葉というのは"簡単には崩れない"。だからこそトゲを感じるのだろう。

しかし、僕が大切だと思うのはここからだ。

僕は物事の本質を自分なりに見つけた上で、核心をつくような質問をする。「ほんとうにそうか?」「なぜそう思うの?」と。

僕の好きなヘミングウェイの言葉
「つまらない答えで申し訳ないけど、つまらない質問にはそういう言葉しか返ってこないんだよ」
にも通ずるが、質問は答える以上に大切だ。

例を出すと、河野大臣の答えと、東京記者の質問だろう。少しでも本質を考えようとするならあんな質問は出てこないはずだ。大臣の会見、芸人の謝罪会見もそうだが、答える側が駄目だと言う人がいるが、今の日本に足りないのは「本質を理解した上で投げる質問」ができる人だろう。

橋本徹さんの記者との討論は政治だけでなく、色々な場面で参考にされるが、記者は質問をただすればいい仕事ではない。橋本徹さんが「もっと勉強してからきなさい!」「どこに書いてある?!」と罵倒するのは当たり前の発言なのだ。

これを聞いてあなたはどう思うだろう?

あなたは他人に対して自分勝手にアドバイスしたり、相談にのったり、質問出来るだろうか?

「できない」と言う人は、1度自分の話ばっかり話さず、黙っておいて欲しい。自分の話をしたからといって、それを相手が全て理解しているわけではない。

あなたは無意識に他人の人生の邪魔をしている

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