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月商100万円、月商200万円

夢のような数字じゃないか。月商100万円。
そんなに売れるなんて、どうやったらいいか全然わからなかった。

ビジネスをはじめて最初は派遣社員をやりながら、年商は200万円弱だった。初年度にこれだけ売れたのは御の字だと思った。
最初から年商1000万円は目標であって、消費税納税するのがひとつの課題として自分の中で設定していた。
それは3年目には叶っていた。
ありがたいことにそこからずっと年商1000万円はこえている。2000万円はまだとどいていない。
(そしていざ消費税納税する時には国を呪うわけです。こんなに持っていかれるなんて地獄!地獄!)

ものが売れるときって、「このくらいは売れるだろう」という予想は実のところ何の役にも立たない。蓋を開けなきゃわからないからだ。いくら予想したって捕らぬ狸の皮算用だ。
本当に振り込まれてからやっと意味が生まれる。
それまでは、何の意味もない。

金とは不思議なものだ。
いくら貯金があっても使わなければないのと同じだ。

月の売り上げが100万円をこえることは、いまだに一大スペクタクル。
毎月毎月こえるわけじゃない。
ちなみに200万円も行くときは行くのだけれど、それは100万円をこえても勢いが落ちない状態なので、100万円を突破した時ほどの手に汗握る感じは少ない。といいつつ、やはり年に1~2回は200万円に乗ってくるようになったので、それはそれですごい感動する。

一週間で200万円くらいをさくっと売り上げてしまうお店もたくさんある中で、きっと小さな話なんだろうなと思いつつも、よくまあここまでこれたなという気持ちと、そろそろ次のステージなんだよなという気持ちとがせめぎあう。
100万円の壁を何度か経験し、次は200万円の壁を経験しはじめている。

ビジネスの仕組み的に、天井が来ないように設計してある。
わたしは親がすぐに限界が来るタイプのビジネスで大きくこけて、娘である私は大いにとばっちりを受けたので、最初から「天井がないビジネス」をよく考えて設定した。
だから、本当はもっともっとバンバン売れてもいいのです。
いいのですが、そこまで持ち上げるのは、やっぱり努力が必要なので、最近そこらへんの努力を怠っているという反省はある。

やっと100万円レベルのゲームにはいったのか、という思いもあるし、50万レベルのゲームは完璧に勝つようにスキルを落とさないようにしないとなという思いもある。
50万でちゃんと勝つのと、100万で勝つのと、1000万クラスで勝つのはまた少し違うゲーム運びが必要になるのだろう。

お金欲しいなあとずっと思っていた。
死ぬ気でビジネスしたら、2年もしないうちにそれなりに動くようになって、5年もしたらコンスタントに毎年1000万円は稼ぐようになった。
そこまではいいとして、ここからをどうしよう。
200万円の壁を眺めながら、ぼんやり思う。

本当に弱々しい数字なのだ。
1000万円はもっとすごいものだと思っていたのに、こんなにも貧弱なものだとは。明日も同じ生活ができるか保証がない中で毎日を生きている。
ほんの少し金はできたが、使っちまえばなくなる。
金の有無よりも、ビジネスが回っているかどうかのほうが100倍価値がある。だがしかし、いいビジネスをするにはある程度金も必要だ。
そういうことをすごく考えている。

いいビジネスを作る。
そこを忘れないようにしないと。
売上を立てるのはとても重要なことだけど、それがゴールじゃない。
むしろビジネスは「誰にどれだけ払うか」が問われる。
「誰からどれだけ金を受け取ったか」ばかりが注目されているけど、そこじゃない。マーケティングとか言って誰からどれだけ金をとれるかみたいなことばかり論じているのは、ビジネスの根幹ではない。枝葉のほうに過ぎないと思う。
(大きい会社では、すべての人がビジネスの根幹にかかわることはないので枝葉が目立つのは当然だと思うけれど、自分でビジネスをするなら枝葉ばかりを見ていられない)

わたしの月商100万円も、枝葉のひとつでしかない。
そのよく茂った枝葉によって光合成をうながしてまた幹が太く強く成長する。そうなるようにしなくては。
でも、青々と茂った枝葉を見た時に、「ああ、なんて素晴らしいのだろう」と思う。とても感動する。五月の新緑の中で、神々しい気持ちになるような、そんな感じがある。私の力でできたことではないと感じる。季節が、木々が、太陽が、土が、それを成した。そんな感じの感慨だ。
100万円。
神様、ありがとう。
その感動や感慨に振り回されずに、私はその樹を立派に育てていくのが役割なのだと心を持ち直す。


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つよく生きていきたい。