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筋トレとモチベーションの話

さて、私はそもそも筋トレは嫌いである。運動も嫌いである。
それなのに途中生理痛や仕事というハンデを食らいながらも筋トレが続いている。

理由は何かというと、とりあえずこの筋トレマガジンを見てもらうのが一番いいような気がするけど、それだけじゃないのでちょっとまとめておこうと思う。

①運動ができない理由を知る

運動ができない人間は、自分の事がカスで惨めな負け組の人間だと思っている。体力がない事、1回の腕立て伏せさえできない事を、非常に恥じている。
他の事はできるのに、勉強なら、おしゃれなら、文章を書くことなら、絵を描くことなら、いい大学とかいい会社とか、年収とか、他の事では勝てるのに、運動ができない。
刺さるようなコンプレックスである。
運動をするという事は、そのコンプレックスを強烈に刺激する拷問に等しい。
だから運動は、できないのではなく、したくないのだ。
運動をすると、できない事がばれてしまうから!

運動ができない事で非常に傷ついているのである。

で、私が知ったのは、「そもそも筋肉なんて簡単につかないどころかむしろちょっと筋トレしたら分解してしまう」という事でした。

そう、人間の飢餓に対する防衛反応は強烈だ。
どんな時でも脂肪を蓄え、エネルギーを多く使う筋肉は使わないようなら早々に分解して減らし省エネにする。
もし危機的状況が来たら、早々に筋肉を分解して省エネモードに入り、最悪の場合脂肪を分解して生き延びる。
そのくらい徹底している。これが、人間に搭載された生き延びるための飢餓対策システムだ。
という事は、そもそも栄養状態の悪い人間が食事制限だとか慣れない運動をしたら、身体は危機的状況と判断して「早々に筋肉を分解して省エネモードに入ってね!」ってなる。
我々、運動したら脂肪が燃えて筋肉がつくと思っているけど、運動だけしたところで筋肉が分解して脂肪は死守されるわけ。

その仕組みが分かったら、「あ、私が運動してもろくに動けないのは、別に私個人の能力のせいとか、努力が足りないとか、センスがないとかじゃなくて、単に超高機能飢餓対策システムが発動しちゃっただけじゃね?」って思ったのですよ。

コンプレックスになるような事はひとつもなかったのだ。

それが分かったら、対策の立て方もあるとわかったし、運動してもできない自分を死ぬほど恥じて苦しむ事が減った(なくなったわけじゃない)。

人によっては、体質が障害に近いものだったり(重篤なアレルギーがあるとか、重病を患った後遺症で筋肉がうまく伸びないとか、いろいろ)、そのことを子供時代から「怠けている、努力が足りない」と謗(そし)られて酷く苦しんできた人もいるであろう。
それは自分のせいではなく、理由があったのだと知ると、それだけで幾分かはマシになる。
大人になってわかる発達障害みたいなものも、そういう一端がある。
そんなふうに、運動ができないのは自分の努力が足りないせいではないのだと受け止められた事が、まず大きな一歩だったと思う。

②対策には存分に金を使う

自分が悪かったから運動ができないって事じゃない!ってわかったら、対策する方法もわかるようになった。
それには、いくばくかのお金があればかなりの事が変えられるという事も、わかっていった。

最低限の装備を整え、いつもの食事方法を変えた。
新しい包丁を買い、小さな冷凍ごはん用のタッパーに買い替えた。まだ使えたけど古いタッパーは捨てる事にした。
スポーツブラを買って、追加でスポーツレギンスを買った。
トレーニングDVDを再生するDVDドライブが壊れたら早々に外付けドライブを買い直した。

どれもそれほど高いものではない。
スポーツレギンスはとりあえずUNIQLOで2000円くらい。DVDドライブも3000円くらい。包丁は高かった、7000円。タッパーは200円。

こういうところにボンボンとお金を使う事が、ほんとに重要だと感じた。
ボンボン使ったとは言え、3万円も使っていない訳です。

たったの3万円で、何年も何年も運動できなかったというコンプレックスを乗り越え、いそいそときっつい筋トレをしているという事実に、個人的には相当感動している。
(ジム通いをしている男友達は小バカにしてくるけれども!)

プロテインも買いました。高いプロテインは1㎏7000円ほど。高ぇ……。
3000~5000円でいいもの買えます。でも、ここは授業料というか、身体に使うものはいいものの方がいいですから、やっぱりケチっちゃいけない。
そのうち、安くしてもいい加減が分かるようになると思うので、最初は高くついちゃうの仕方ないと腹をくくっている。

③体重やサイズを計らない

体重は量らない事にしました。
ウエスト周りも計りません。

理由は、体重なんて他人から見えないからです。
例え2キロ減ったとしても、しょせん見た目では誤差の範囲。減ったとは思われません。
サイズだって同じじゃん。マイナス6㎝とか言っても、お腹へっこませて我慢してればそのくらい平気で減るじゃん。誤差ですよ、そんなの。

それなのに、計り始めたら絶対にその誤差に一喜一憂するんですよ。
「なんで減らないの?」「1キロ減った!」
これらの感情の揺れって、けっこうエネルギーロス。
それがうまくモチベーションにつながればいいけどさ、思い返してごらんなさい、大抵の人は一喜一憂で疲れて、大した結果も出さないで満足してしまっている。

Twitterでダイエット垢とか言ってる女子たちの心の弱い事と、極端な「1週間固形物食べない!」みたいなダイエットをごらんなさい。
心の揺れは、これほどに結果を生み出さず、ただただ消耗させていくのですよ。

それなら、見ない。計らない。

大体計ったから減るんじゃないだろ?
運動して食事を適切に調整するから痩せるんだろ?

そこ間違えると、ダイエットじゃなくて、体重測定をやり続けるだけですよ。

我々は!筋トレを!するのだ!
そのために不要なことは一切やめるのだ。
誤差の範囲の体重で一喜一憂するエネルギーがあるなら、それを筋トレに回せこの野郎!!
使えるエネルギーは筋肉作りにすべて回すんだこの野郎!!

④いきなりセルフイメージを変えない

これが一番大事じゃないかと最近思っている。
筋トレができない自分、というセルフイメージをいきなり変えないという事だ。
自分ではそこそこできていると天狗になってしまう気持ちもあるんだけど、筋トレは正直きつくて全然できている感じがしない。やろうと思えば思うほど、できない事が分かる。
挙句に、全然痩せねえ!!!
「できない自分」という感覚はもうずっとついて回る。

それがよかったような気がする。

筋トレをしたらありとあらゆる悩みが消えて彼女ができて仕事がうまくいって年収が上がって今まで自分を馬鹿にしてきたあいつらも恥ずかしそうに避けていく…みたいな、過剰な、雑誌の裏にあるスピリチュアルグッズの広告的な感じで、人生が変わるって言われている。

——————なるわけないですよ。

よしんばなったとして、3カ月とかは最低でもかかる。
それまでの3カ月を乗り越える事ができないのだ。筋トレは最初は本当にコストパフォーマンスが悪い。悪すぎる。生活に損失を与えるほうが大きい。
筋トレのコストパフォーマンスがプラスに転じるのは、ずっと後だ。数か月後だ。数か月間は生活に損失を与え続けていく。

その時に、セルフイメージが「人生が変わった」方向にいってしまうと、現実とセルフイメージの乖離がすごすぎて、やる気はあっという間に枯れてしまう。

むしろ、「筋トレなんかやる脳筋バカになり下がってしまった、なんて私は愚かなのだろうか!しかも全然できていない!」とむせび泣きながらやる方が、現状とセルフイメージがそう。

実際、筋トレは全然できていない。
自分比でできるようになったというだけだ。
最初は3分でギブアップして、がんばって10分できてばてていた。それが今は40分はできるようになった。それは自分の中では革命的な出来事だ。
でも筋トレ技術はめちゃめちゃ低い。全然できていない。

革命的に筋トレができるようになったので、急にセルフイメージが爆上げになるのは当然なんだけど、幸か不幸か痩せないし、筋トレ自体は毎回強烈に苦しいので、セルフイメージが急上昇する事がなかった。
それが、実はすごくよかった。すごくよかったのだ。

物事を続けていくために、自信を持つことは不要だ。
特に必要がない。
環境や装備さえ整えておけば、自信があるかどうかなんてどうでもいい事なのだ。生まれた家が歌舞伎役者の家なら自信があるなしに関わらず歌舞伎のお稽古をするだろう。
自信とか、自己肯定感とか、そんなものはいらない。
むしろ現状にあわせて低い方がいい。そのほうが苦しい状況を継続できる。

⑤環境整備

という事で、やる気やモチベーション、自信やセルフイメージ、自己肯定感などという気持ちの問題は、正直なーんの役にも立たない。
それより環境整備のほうが重要です。
金を使うというのは、すべて環境整備の為に使うという事です。

服装から、栄養状態(食事、プロテインやサプリ)、時間確保のためにどんどんお金を使う。
ジムに行くのが有効な人なら、契約しちゃえばいいし、そうじゃなくて家でやるなら部屋を片付けるのにお金を使う。
急いで帰るために、タクシーを使う。時間確保は一番重要だと思う。
もちろん、お金じゃできない事も多いし、お金がいくらでもあるわけじゃない。だから、たくさん工夫をする必要はある。

でも、とにかく、一番大事なのは環境整備。
私の場合は、時間の隙間というかスケジュールを決められたのが一番良かった気がする。
集荷の人がくるのを待つ時間でやってしまう。1時間程度。で、筋トレでヘロヘロになったあたりで集荷が来て、発送が終わったら一応その日の仕事は終わり(といいつつ、その後も夕食を取りながらずっと仕事っぽい事はしている)。

⑥変化や試行錯誤を楽しむ

何も変わらないといいつつも、一ヶ月くらい筋トレを続けることができてから、ちょっとした変化を感じる様になった。

思ったよりうまくできた時と、できなかった時がある。それはなんでなのかと考える。
ご飯に何を食べたっけ?
ご飯を食べてからどのくらい時間があった?
間食はした?
そんな事を考えて、またちょっと調べてみる。

プロテインにココアを混ぜて味を変えてみたり、食事やサプリを少し変えてみる。
いろいろ調べて、できそうなことを取り入れてみる。

小さなことだけど、そういうあれこれがある事が、確実に「筋トレをやってみる」という事につながっている。変化がどう現れるか気になるからです。

エクササイズDVDはひたすら同じのをやっているんだけど、いつもは右から始めるところを左からやってみるとか。よーくお手本を見て、自分のフォームのできていないところを注意してみるとか(フォームを直すと途端に負荷がググッとくるので、できてると思っても本当はできていないんですよね)。
たまに調子のいい時は、気合い入れてインターバルを取らないで続けてやってみる。

できない時は、しない。
しないで、次の日とか再開した時にどういう影響が出てるか感じてみるのも悪くないです。
あんなに苦しくてやっとできるようになったプログラムが、ちょっと別のプログラムやっててしばらくやってなかったら全然できなくなって呆然としたり。かと思うと、3日間も筋トレができなかったからもうガクガクかなあと恐れていたら意外にもそんな事はなくて、積み重ねてきた成果ってちゃんとあるんじゃないかな!?と喜んだり。

やっとのことで一ヶ月を越えて、今はこの小さな試行錯誤や変化を感じるという段階に来れたような気がします。

新しい事を学び、それをすぐ試せるというのは、とても楽しい。それが筋トレというかなり苦痛の多いものであっても、好奇心はそれを時に平気で上回ってしまうのです。


筋トレは3カ月はやらないと成果がみえないという

過酷なものだ。
まず最初は「筋トレをする」という大事業に着手するのがとにかくハードだし、3日続けるというのもかなりきつい。
3日続いたら、そこでやめるのではなく、ちょっとつまづいてもさらに続けるというのがハードル高いし、一週間やるのもさらに苦しい。
その間、とにかくずっと体力は大ダメージ。
筋トレもダイエットも成果が出てくるまではただただ身体に悪いだけだ。

この超過酷な最初の一ヶ月を超えられた事は、我ながらすごい事だと思っている。途中で止まった時もあったのに、継続できた。
そして、そこで満足せずに二か月目に入れたのも、個人的に偉業である。

我が人生史に残る転換期である。

が、現実にはまだなんの成果もなく、ただ身体に悪いだけの一ヶ月であった……。しょっちゅう駅で倒れていた。
この最悪の一ヶ月を無駄にするわけにはいかない。なので、二か月目がはじまったのです……。

頼れるものは己の筋肉のみなのですから、頼りがいのある筋肉を作らなくてはいけません。まだまだ頼れる筋肉にはなっていませんが、ものすごい形相で自重筋トレをしてプロテインを補充しております。

また二ヶ月が経過したら、どうなっているのか、果敢に取り組んでいきたいと思います。蛮勇とて己に向かうならば克己たるや。
適当にそれっぽい事を言ってみました。意味は特にありません。

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つよく生きていきたい。