優等生たちの「スラム街」というオールドタイプのコンテンツ

最近大学生が「スラム街にいきたい」とクラウドファンディングをはじめてめっちゃ炎上した案件、あったんですけど。
炎上ごもっともな話だったけど、それ以上に、20歳ほどの若い人たちの感覚があまりに「20年前の最先端」な感じを受けた事に、個人的にはちょっとショックを受けている。

20年前の、国内だけではなく海外の問題にも意識を向けるグローバルな人材って、超クールで目指すべきロールモデルとして(そんな言葉はまだなかった)ほめそやされていた気がするんだ。
特に、環境問題に意識を持っているのがヨシとされていた。そういう潮流が確かにあった。オゾンホールは広がっていくし、石油はなくなる時代だった。インターネットはなかった。

その意識のまま、特に上流階級的な、お父様の意向は絶対な感じのご家庭や、そこまでいかなくても親や先生の喜ぶ顔が見たい優等生な人たちはそのセンスのまま、大人の望むような形の行動をとって、それがまたほめそやされて、いい学校、いい会社という感じで進んでいった。

アウトサイダーもやまほど生み出したと思うけれど、そういう大人の顔色に敏感な優等生がロールモデルに据えられてきたのが、ここにきてめっちゃ響いている気がしてならない。

そういう人たちにとっては、スラム街の少年少女なんて、手を差し伸べ、遊んであげるだけで夢を与える対象と思ってしまっても、まあ、しょうがないのかなって感じる事もある。

日本が特権階級的地位にいると思っている。
そういうプロパガンダ、たくさんあったと思う。
それに実際そういう特権階級的な人たちがやってた。セレブリティたちのご活動だった。

海外の子供にワクチンをとか、女の子の教育をとか、あなたのジュースを買う100円で給食が食べられる子供が、とか。
すごく素敵な子供の躍動感のある写真を大伸ばしにしたクールなビジュアルのポスターを使ったボランティア団体の啓蒙活動とか、そういうのにたくさん触れて育ってきた。
そういうものにしか、触れていないんだけどね。
そういうところが世界の貧困やスラム街の事を知る入り口になっていた。だから、現実との乖離は甚だしいものがあると思う。あの大伸ばしにされた躍動感ある子供の笑顔の写真にドブや下水や溶剤の匂いはないもの。
幸せなことに、我々、そういうところまで想像する必要がない場所に生きている。ひとつのコンテンツとしてしかとらえていない。

私は家庭内暴力吹き荒れる状況から飛び出してきて思ったけど、そういう人たちが募金するお金、500円でも、私にくれたっけ?
私だってお金がなくて進学をあきらめた、他にもいろいろあった、そういう状況を誰かわかって助けようとした?
知らないアフリカの子供の為に500円出せても、私にはその500円くれないよね?

東京に出てきてから、たまにそういう事を考えた。

別に、500円が欲しいわけじゃない。
でも、おかしいと思わないのか。
同じように貧困で苦しんだ、むしろ同じ日本語を話し、なんならよほど国に貢献する可能性が高い私は自己責任扱いで、保護も補助も不要だというの、おかしくないか?

もちろん、ボランティア団体や募金システムが、名ばかりの集金団体になっているという話もあって、それもまあそうだと思う。そこはそれで問題なんだけど、募金する側も、オシャレな躍動感あふれる写真と世界に貢献する素晴らしい思想や活動に憧れるだけで、問題の本質やむしろ目の前の危機にまるで意識は向いていない。

そういう問題点が、いまだに20年以上は過ぎているのに、まったく変化していない。むしろ環境はどんどん変わって、日本がそんな特権階級的な場所でもなくなってきたというの、かなりおおごとだと思うんだけど、全然加味されていない。

海外に学校を作る高学歴セレブ層の「キャリアを投げ捨ててまで行った勇気ある活動」として褒め称えられているの、それはキャリアの側にいる人間同士の評価でしかない。
最初からキャリアに見放された人間に、そんなもの通用しない。
そして、そんなキャリアな生活を絶対にできないであろう人々のいる場所にきて「頑張れば夢は叶うよ!」って言って、それがまたキャリア層の仲間内だけでほめそやされる。
そういうもの、何回も何回も、繰り返されてきている。

お金持ちが下々の暮らしを見たいスラムツーリズムは、どうしようもない下世話なものだけど、エンタメとして多分絶対になくならない。
むしろそれを「社会勉強」とかキレイにパッケージングしちゃう面の皮の厚さ。

それをそのままトレースした大学生たちがめっちゃ叩かれたけど、あのくらいの子たちはその程度の愚かさなこと、みんな覚えがあると思う。彼らは世の中一般的に言われていることをやろうとしただけ(とても浅はかではあった)。それよりも、トレースされた元の事象のほうが、余程重大じゃないかと思った。

20年くらい前の最先端ロールモデル、価値観、そういうものがあんまり更新されてなかったということ。

手あかのついた内容で、若者らしい愚かさが炸裂していて(誰かに夢を与えたいとか、いいカメラ買ってナイスな写真撮っちゃうぞみたいなのとかはしゃぎ過ぎてる感じ)、結果炎上という形になったのだけれど、最初の手あかのついた内容というのは、確実に我々彼らより年長者が作ったものだ。

そこに、私はものすごくショックを受けた。

炎上した大学生の浅はかさなんて、どうという事はない。よくあるものです。危険な場所に冒険する自分カッコよくない?っていう。
それよりもその浅はかさの内容が、やろうとしていたコンテンツが、あまりに古臭く、ちっとも進歩していなかった。そっちのほうが、ずっとずっと問題じゃないか。

でも、ちょっとずつ価値観は変わってきている。
SNSもいろんな問題を浮き上がらせる。そうやって変わってきたこと、たくさんあると思う。いい悪いはまた別だけど。

同時に、怒られている人間を見つけたら無関係の人たちまで寄ってたかって石を投げるスタイルが定着しているのも、そろそろやめないといけないよねって感じも出てる。
ネットの炎上案件は参加型エンターテイメントとしての地位を確立したけれど、様々に弊害がある事も知られてきたし、何なら法整備も追いついてきた。それでもネット上のスティグマは残るかもしれないけど…。

私だってスラム街に暮らしたことはない。
それに近い場所にいたのかもしれないけど、それほどどうという事はなかった。安いシェアハウス暮らし(3.5万円のドミトリー)もなかなか面白く、悪くはなかった。数年は住んだ。
スラム街に憧れちゃう気持ちも、あるあるネタだと思う。マンガとかもよく舞台にするし。ちょっと魅力的な場所なのだ。
だけど、優等生的ロールモデルの態度が20年前と全く同じでは、もう通用しないんだろう。かつてはネットもない上に閉鎖されたキャリア層たちの社交場でしか使われなかった手法は、万能ではない。なんかカッコよくておしゃれでみんなそれなりに憧れたけど、通用しない。

我々は、もうロールモデルを捨てる勇気を持たねばならないのだろう。
遅すぎるし、若い大学生の炎上でそれを思うのは、いささか不謹慎な気もきないでもないんですけど。


20歳くらいの若者の意識が20年くらい前なのって、親の意識や思想をそのままトレースしているからだと個人的にはにらんでる。
子供というか、社会に出ていない若い人ほど、恐ろしくおっさん臭い意見を持ってる。社会の捉え方がめちゃくちゃ古臭い。
ここから現実にぶつかってショックを受けて、自分なりに意識を刷新していく作業が生まれるのだろうけれど。
特に優等生的ないい子ほど、古臭い感覚なのホントびっくりする。
あまり若い人に触れる機会はないので、特殊なケースだったのだろうか。

あと、若い人で「えっ、めっちゃ人間できてる対応じゃない?」って思う時もあるけど、やっぱりものすごく幼い事はたくさんある。見た目に騙されちゃダメ。
人間できている感は鍛え抜かれたやつらの就活技術だったりするから、人間力的なところはぺらっぺらな事たくさんあります。
でもいいの、それが若いって事だから!それでもいいの!!むしろぺらっぺらを気にして就活技術を磨きすぎて人間が変な風に矯正されちゃわないようにめっちゃ願ってる!!


若い時は、愚かなものです。それはもう仕方ないです。
でも、その愚かさゆえに、本当にヤバい部分がなんとなく感じられたというのが、私は一番ぞっとした。
若い彼らの持ってる感性は、20年前くらいから刷新されてない。
経験なさすぎで踊らされてるだけだとしても、その踊り方があまりに古い。古い感性をそのまま真に受けてる。
そこが、一番怖いなと思いました。

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つよく生きていきたい。