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詩人になりたい。でなければ何にもなりたくない。

最終的にはノーベル賞を受賞したヘルマン・ヘッセというドイツの作家が幼いころに言ったという

詩人になりたい、でなければ何にもなりたくない

という有名な台詞は皆さまご存知でしょうか。僕はまだ若いとき何か、自分のいる世界とは確実に隔たったところにいる誰かが言った無責任な台詞として、この言葉を記憶したんだと思うのですが。最近、体中の細胞がこの台詞に賛同を示しております。

なぜ今になってこんなにも胸に迫るのかというと若いときはどうしても「詩人になりたい」というところにアクセントを置いて読んでいたからなんだと思う。今になってようやくこの台詞の本質が「でなければ何物にもなりたくない」の方にあることに気付く。要するに、前半は詩人でも作家でも宇宙飛行士でも、サッカー選手でもYoutuberでも良いのだ。

極めて我儘で自分勝手な意見のように思われるだろうが、本来自分の人生を自分勝手に生きるのはとても当たり前のことであって、もしこのような考えを笑われるのであれば、なぜそれを笑うのか今一度自らに問うてみてほしい。

僕の幼少期の記憶が正しければ、幼いころよくわからないまま勉強をさせられ、頭の悪かった僕は親や教師に「勉強は嫌だから好きなことをしたい」と反発した。その都度帰ってきた言葉は「好きなことは大人になってから一杯すればいいし、大人になってから困らないように今は無理にでも勉強をしなければならない」というものだった。僕は別にその言葉が詭弁であるだとかそういうことは思わないし、そういう言葉をかけてくれた人が僕の将来を心配してくれたことは容易に想像がつく。けれども頭の悪い僕が真っ先に思ってしまうのは「もう大人になったし、好きなことだけやってもいいはずだよね?」というとても単純な帰結だった。

結果として僕は現在無職で、好きなことだけをやっている。貯金がたんまりある、とかなら話は別だが、そうではないので削れるものは可能な限り削らなければならない。ただ、人間煙草と酒を辞めて、遊ぶのにお金がかかるような友達とはすべて絶縁して、図書館で数時間を過ごすスキルを身に着ければ、特に日常生活でそこまで金を使うことはない。幸い僕は、金のかかる趣味はゲームくらいだった。ゲームは「値下がりしないソフト」の判断をしっかりして「勝ったものは売る」を実践すれば基本的にはコスパの良い趣味である。ゲームによっては1000時間や2000時間を夢中で遊べるものも多いのだ。

とりあえず実践をしてみて、気づいたのは「いっそ働いた方が楽」や「なんだかんだ不自由な時間があるから自由な時間がありがたい」系の言葉は全部嘘だということがわかった。少なくとも僕は「やりたくない仕事を生活のためにやる」ということに関しては死ぬほど苦痛だった。多少の不便は感じるが、今の生活に概ね満足している。

そしてここからが本題なのだが、聞いてくれるだろうか。僕は本気でいま「詩人になりたい、さもなくば何にもなりたくない」と思っている。言葉を変えると、好きなことだけで生活を成り立たせたいと思っている。今は失業保険と貯金で何とかしているが、それはいずれ無くなる。そうなった時、この極限までそぎ落とした生活でいいから、好きなこと=いくらやっても苦痛でないこと=文書を綴ること、で何とかならないか、と願っている。

これはもちろん恥ずかしい願いかも知れない。あまり大声で言わない方が良いのかもしれない、或いはノーベル賞などの大きな成果を残した人たちが特権的に言い残せる何か罪深いことなのかもしれない。けれども僕のような何も成し遂げていない人間こそそれを口にすべきなのだと感じている。本当はそういわなければならない人たちが周りからのプレッシャーに気圧され何も言えぬままにやりたくもない仕事をして死んでしまったり、病院から戻ってこなかったりした。まだ中途半端な現実主義者だった僕もまた、そのような「働けない人たち」の道を知らずに閉ざしてしまったこともあったように思う。

本当はわかっている。実のところ、この恥ずかしい台詞を、罪深い言葉を、どんなに言い足掻いたところで、実力の無いものは誰にも相手にされることなく、えげつない傾斜の坂を転がり落ちていくことを。その転がり果てた先に待っているのは決して英雄らしい死ではなく、むしろ無残におのが信念を失った亡者の生であることも。けれどそれがどれほど恐ろしくとも、僕のような何も成し遂げていない人間こそ、声高らかにそれを言わねばならないと思うのだ。社会にどうしても適合できなかった人間として、せめて同じ苦しみをこれから抱く人が、少なくとも選択肢は2つある、ということを信じることが出来るように。

僕は誰のために書くのか、ということをたまに聞かれるのだが、いつもお茶を濁していた。というよりもなんとなく気恥しくてそれに言及することを避けていたのだが、僕は僕と同じように、不器用で性格が悪く人をすぐに不快にさせるが故に通常の社会生活を送ることが困難で、詩人になる以外には何にもなりたくない、という言葉を精一杯の強がりで言うしかない人たちのために書きたい。急斜面で今にも転がり落ちそうになる中でつき立てた指から爪が剥がれ落ちて、血がとめどなく顔に滴ったとしても、いつまでも僕は馬鹿な子供みたいな顔をして、好きなことだけをして生きていく、と言っていたいと思うのだ。

もしよかったらもう一つ読んで行ってください。