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てきとうに几帳面

 九月の空は秋に歩みを進めようとしているが、それでも、日中は三十度を越える日が珍しくない。ただ、少し涼しくなった朝や夕方を活かして、わたしは外へ出るようになった。ようやく、日光を浴びても、偏頭痛に見舞われなくなったのだ。

 この夏は、一体どうしたものかと嘆きたくなるくらい、酷暑に襲われ続けていた。結局のところ、暑さに対応するための身体がまったく作れていなかった。梅雨の時点でもはや暑さに打ち勝つ術がなく、自宅で進められる仕事に打ち込むしかなかった。それも、正直、体調的に難しい時期があった。

 わたしはある側面において、几帳面な方だと思う。物事は円滑に進められるように手配し、日常生活においても管理できる部分は徹底的に管理する。

 だが、ある側面において、物事を綺麗に取り組もうとしすぎて、結局うまくいかないことがあった。特に、作業的なスピードが求められること、不得意なこと、グレーゾーンを突くような手続きについては、かなり不器用であると自覚している。

 いまの目標は、フリーランスとして生計を立てることでも、好きなことを本業にすることでもない。夢を見たくなる瞬間もあるし、呟きもしたが、明らかに少ないパイを奪い合っても勝ち切れる勝算もないのに、そこにすべてを投げ打って飛び込んでいく理由はない。

 明確な目標があるとしたら、精神的な安定である。それは、生活の構築と、自主活動の上向きが絶対条件となる。経験上、どちらかが疎かになると上手く行かなくなることは自明なので、確実に並立させなければならない。

 正直、その道のりは非常に長い。決して平坦でもなければ、必ず叶うという約束された将来もない。「雲を掴むような話」と言われるのも仕方がないだろう。とっくの昔に成人しているのに、小学生のような青写真を描こうとしているのも自覚している。

 これまでの道のりでもっとも反省しているのは、几帳面すぎたこと。あらゆる言葉や物事を正面から受け取りすぎて、一気に消耗してしまった。このような状況が続くと、どんな仕事をしても、誰と付き合っても、おそらく長続きはしない。いつか爆発させるだけ。

 だからこそ、几帳面さは几帳面さで持ち続けつつも、てきとうな部分を作っていこうと思う。何もかも、ちゃらんぽらんにすることではない。何かを犠牲にすることでもない。

 とんでもないことを成し遂げたいわけではない。たしかに飽きが来やすい性格だが、日常に飽きやすいわけでもない。あまりにも、神経質に生きすぎた。些細な出来事を許せずに、突き放しすぎた。

 ただ、他の仲間とは少し形が違っても、当たり前の日常を生きられるようになりたい。精神的にも、生活的にも、安定がほしい。

 綴りながら整理してみたが、今のもっとも必要なのは、さまざまな物事に対しての土台の構築である。まずは普通から、始めようか。

 2024.9.26
 坂岡 優

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