見出し画像

私が野球ファンになったきっかけ | GO AHEAD -僕の描く夢- 第307回

 今思えば、中日ドラゴンズの変化の始まりであり、横浜DeNAベイスターズの本気度の現れでもありました。トニ・ブランコ、エンジェルベルト・ソト、ホルヘ・ソーサ。二人のドミニカ人と、一人のベネズエラ人が一度に中日から横浜へ移籍した事件。ドラゴンズファンにとっても、ベイスターズファンにとっても、記憶に新しい移籍劇ではないでしょうか。

 正直、半信半疑でした。またTBS時代のように、中途半端で的を得ない補強ばかりになるのではないか。当時の私はベイスターズのファンではなかったけれど、前年に生まれたばかりの新興球団の行方を興味深くチェックしていました。

 こんばんは、坂岡です。今日は私が横浜DeNAベイスターズをきっかけに、阪神タイガースのファンから野球全体を応援するようになったきっかけを綴ります。

 もともと無類の阪神ファンだった私は、小学校卒業を境にあまり野球を見ないという生活をするようになりました。それが変わったのは、2013年の5月。巨人戦で、多村仁志選手がサヨナラ満塁ホームランを打った試合。ビハインドから徐々に追い上げ、最後は劇的な幕切れを迎えました。たしか、この年のベイスターズはとにかく逆転劇が多くて、いっぱい負けるけれど勝つときはとんでもない勝ち方をするというジェットコースターのようなチームでしたよね。

 打線の方は、石川、内村、モーガンで走者を貯め、ブランコ、ラミレス、中村紀が勝負強いバッティングでランナーを返す。下位打線には当時売り出し中の筒香や荒波が控えていました。投手陣は三浦と藤井というベテランを軸に、三嶋や井納、須田のような若手たちが少しずつ芽生えてきて、数年後の飛躍を予感させました。

 私は友人たちに「絶対ベイスターズは浮上するから。筒香はホームラン量産するから!」って言いまくっていました。でも、投手陣は本当に脆くて。それはそれで面白かったですけど、球場のファンたちはビクビクしてしょうがなかったと思います。

 以前紹介した池田純さんの著書「スポーツビジネスの教科書 常識の超え方」には新興球団ならではの試行錯誤や新しい取り組みが描かれていましたが、ちょっとずつ勝てるチームに、勝つための集団に変貌していく姿を見られたことが、とても貴重な経験だったなあ……と。中畑監督最終年は本当に期待させてくれましたから。(最終的に最下位になってしまいましたが汗)

 このベイスターズが強くなっていく過程と、成長と共にいろんな視点で野球を見るようになり、海外の野球や、様々な球団がこれまで行ってきた「弱小チームの育成法」を学んでいきました。

 時を重ねるごとに、私はどこかの球団を応援するというよりも、野球全体のファンでありたいなあ……と思うようになっていったんです。

 特定の球団を熱狂的に応援するというより、野球そのものが好きなんだと気付いたんですよね。だから、不慮の事故で亡くなってしまったホセ・カスティーヨやかつて中日ドラゴンズに在籍したマット・ステアーズのように、いろんな球団やプロリーグを渡り歩いている選手たちを追いかけるのが好きなのかもしれない。

 世界各地の野球には、その地域にしかない傾向があって、個性豊かな選手がいて、面白いゲームを見せてくれる。ボールパークが最高のドラマの発信地になる。

 これからも、いつまでも。私はずっと野球ファン。そして、スポーツが大好きです。

 2020.6.10
 坂岡 ユウ

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 いただいたサポートは取材や創作活動に役立てていきますので、よろしくお願いいたします……!!