小説「お約束のカレーライス」

 南利明が「ハヤシもあるでよ」とコマーシャルで微笑んでいた頃。僕らはレトルトカレーの美味しさに驚いてばかりだった。僕の子供時代と言えば、ご飯に肉じゃがをかけたような、“翻案カレーライス”をホンモノだと信じ込んでいた。だが、十五歳の誕生日。英國屋で食べたカレーライスに僕は衝撃を受けた。それから少し経って、ボンカレーやオリエンタルマースカレーがお茶の間に登場するようになった。僕らの食卓にも、カレーライスが遠路はるばるやって来たのだ。
 今夜も僕らの食卓にはカレーが並ぶと聞いた。それを心待ちにして、僕は日記をつけていた。
 「あなた、もうすぐご飯ですよ」
 僕のカミさんはとても料理が上手い。それに、べっぴんさんだ。結婚当時は「係長の君がこんな美人の奥さんをよく捕まえられたものだ」と同僚たちに皮肉られたものだが、君たちは何にもわかってないな。
 「わかってるよ、すぐ行く」
 カミさんの声に、僕はタメをつくって返事する。
 とにかく、僕らの関係は数年来の関係ではないんだ。幼稚園からの幼馴染で、もはや結婚は約束されたも同然だったのさ。
 ゆっくりと階段を降りると、食卓には芳醇で国際的なカレーライスの薫りが広がっていた。
 「君のカレーは世界一だよ」
 「また、そんな」
 カミさんは僕の方を見てはにかんだ。咄嗟に、カミさんのことを褒めたくなったが、僕には良い言葉が思い浮かばなかった。
 「じゃあ、食べようか」
 「そうですね」
 僕らは「いただきます」と手を合わせた。結婚してもう長いが、一度もこの儀式を欠かしたことはない。僕が残業で遅くなる日も、「もう先に食べててよ」と言っても何故か待ってくれる。カミさんと喧嘩もしたことがない。
 じゅわっと、口に広がるのはカレールウのぬくもり。人参の甘み、ジャガイモの香ばしさ。そして、感受性を豊かにするのはたまねぎの味。
 もう十分も経たないうちに全部食べきってしまった。僕らにとってカレーライスとは、食卓を楽しくする魔法なようなもの。あなたのカレーを食べられるだけで、結婚する価値があるよ。恥ずかしいから、絶対に言わないけど。
 すると、僕のそわそわする様子に気付いたのか、カミさんは僕の傍に飛び込んでくる。
 「今日もお疲れ様ね。あなた」
 今日のカミさんはなんだか子供っぽい。お互いもう立派な大人だが、夫婦共に酒や煙草をやらないせいか、たまに子供のような一面が顔を出すことがある。これは決して駄々を捏ねるというわけではなくって、わんぱくで好奇心旺盛になるという意味だ。
 僕は困ってしまった。今日のカミさんはあまりにも可愛い。とにかく、また、ありきたりな言葉でこの場をやり過ごすことにしよう。
 「お疲れ様。君もいつも僕の傍にいてくれてありがとう」
 「あなたと出逢ったことが人生最大の幸せ」
 「ありがとう」
 このやりとりが終わった後、カミさんはテキパキと食器類を片付けた。食事が終わってから、僕らはベッドで楽しい時間を過ごしたのだが、それはまたの話……

 2020.3.16
 坂岡 ユウ

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