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ハンガリーの話

ハンガリーの話を書きたいと思います。ハンガリーってなかなか馴染みのない国ですよね。私は高校3年生の時に留学生として現地の高校に1年間通っていました。

 AFSという、高校生専門の留学機関を通してハンガリーに留学し、ホストをしてくれる現地のハンガリー人の家族と共に生活していました。

 高校は日本でいう県立高校のような、地元の高校に通い、全ての教科をハンガリー語で受けていました。最初の何ヶ月かは、ハンガリー語で授業を受けても全く理解できませんでしたが、半年ほどたった頃から日常会話をハンガリーで話し、授業は徐々に理解できる部分が増えました。ただ、歴史や物理、化学の授業は最後まで理解できませんでした。専門用語が多すぎました。わからない授業の時は日本から持ってきたハンガリー語の本を開き、ひたすら単語を覚え徐々にボキャブラリーを増やしていきました。

 ハンガリーの首都はブダペストですが、私はハンガリーで4番目くらいの規模の町に住んでいました。セーケシュフェヘールバールという、ブダペストから車で1時間半ほどの小さな町で、街並みはとても美しく、特にヨーロッパ特有の石畳みの道が大好きでした。家族は、お父さん、お母さん、4歳上のお姉ちゃんと、1つ年上のお兄ちゃんの4人家族でした。みんな背がとても高く、お父さんも兄ちゃんも190cm以上ありました。

 ハンガリーというなかなか日本には馴染みのない、〝東欧〟と呼ばれる場所に位置するこの国には、山がありません。あっても丘と呼べるくらいの高低差で、少し町から離れると道の両脇にはひたすら地平線が続きます。ホストファミリーの家は、町の中心からバスで30分ほどの場所に位置していたので、毎朝通学するときや、帰りのバスからよく地平線を眺めては、感動したり、ワクワクしたり、時には少し寂しさを感じたりしていました。

 セーケシュフェヘールバールの町には外国人はほとんど住んでいませんでした。もちろんアジア人も全くといっていいほどいないので、はじめの頃は町を歩くとみんなに見られました。しかし、小さな町なので徐々に友達は顔見知りが増えていき、授業終わりにばったりであった友達と、そのまま公園や湖に遊びに行くこともよくありました。

 ヨーロッパのティーンエイジャーは、日本で育った私からみると、とても大人びていていました。みんなが大好きなのはシーシャと呼ばれる水タバコで、リュックに入れられる小さなものを持ち運んで、公園でよく吸っていました。りんごやブルーベリー、チョコなど色々なフレーバーがあります。私たちはスーパーでビールを買っては、シーシャを吸いながら公園でビールをよく飲んでいました。晴れた日の夕方に友達といる公園はとても美しく、〝ザ、私の青春の1ページ〟って感じです!

 週末にはさまざまな場所でイベントが開かれました。クラブであったり、バンドの生演奏だったり、バラトン湖という湖でのビーチパーティーなどです。セーケシュフェヘールバールにもたくさんのクラブがありますが、高校生が集まるところ、大学生が集まるところ、もっと大人の人たちが遊ぶところといったように、年代別に遊ぶ場所が分かれていました。さらに高校ごとにも行きつけのクラブやバーがあり、週末になると私たちはそこに集まってべろべろに酔っ払ったり、とことん話したり、びしょびしょになるまで踊りました。真冬にでもクラブの中の熱気がすごく、汗でびょしょびしょになるのですが、そのまま極寒の外に出て、ひと休みするのがとても心地よいのです。

 週末を通じて友達とより仲良くなり、ハンガリー語もどんどん上達しました。お酒にも強くなりました。でも、私に一番の衝撃を与えたのは音楽でした。

 続く

 

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