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「自意識ちゃん」からぬけだしたい

はじめまして、ゆったんです。
普段は東京の小さな広告代理店で2年目の新米デザイナーをしています。
そして、前田デザイン室に28期生として入室しました。

この前田デザイン室では様々なコンテンツを入室しているメンバーで作り上げています。そのコンテンツの中のひとつが「ぬけだ荘プロジェクト」です。

この「ぬけだ荘」では、現状からぬけだしたいと悩んでいる人たちが、noteや前田デザイン室内でその悩みをさらけだし、実践に変えてその悩みからぬけだしていこうといった活動がされています。

ここに僕も書いているということは、お分かりの様に僕自身も抜け出したい悩みがあります。正直な話、僕自身の悩みは最初明確なものではありませんでした。でも今年の夏から始めたこのnoteで出来事や思ったことを毎日かかさずに書いていくうちに悩みが、つまり「ぬけだしたいもの」とやっと出会うことができました。

そのぬけだしたいものは「自意識ちゃん」です。

ここからは自分自身と向き合うため、普段書いているnoteのように敬語を使わず、できるだけ赤裸々に自意識ちゃんの話とそこからぬけだすための自分なりの方法を書いていきたいと思います。

普段から文章を書くことに慣れていないので、頭をからっぽにして気楽にみていただけると嬉しいです。

1.自意識ちゃんの話

僕には昔から付き合っている悪友がいる。それが自意識ちゃんだ。
自意識ちゃんは自分が何かアクションを起こそうとした時にいつも横に現れる。そして一言「おまえ、みられてるよ」と僕に話しかけてくるんだ。

いつもその一言を聞いた途端に、背中がゾッとして、ありもしないことをたくさん考えてしまう。

「失敗したらどうする?」「ここで発言したらシラけちゃう?」「そのデザインは全然ダメだっていわれるんじゃない?」「お前はいらないっていわれたらどうしよう」「ここで絶交されたら?」「この仕事を引き受けてもし間に合わなかったらどうする?」「小さなことって思っているかもしれないけど、きっと後から大変なことになるんじゃないか?」「そんなに僕をみないでくれ」「僕は弱い人間だ」「こんなこと言ったら怒られる…」

「ひとにしろいめでみられるのがこわい」

僕はこんなことばかり考えてしまう人生だった。だから、行動にうまくうつすことができない。自意識ちゃんの一言で急ブレーキがかかってしまう。

自意識ちゃんがひょっこり現れたのは、中学時代の経験からだったと思う。

僕は父親の仕事の都合で、中学1年の5月くらいから中学2年の終わりまで地元 千葉県から広島県に住んでいたことがある。約1年間だったけど、その広島での生活は大きな問題もなく過ごすことができて、割と楽しかった。そして広島での生活を経て、千葉へ帰ってきて、中学校も元々いたところに再入学した。久しぶりに会う友達はみんな元気そうで、あ〜久しぶりに会えた〜とその時は浮かれていた。

けど、もう自意識ちゃんが出てくるまでそう時間は掛からなかった。

うちの中学は近隣の2つの小学校の生徒たちが集まってくる。だから、中学1年の間に他校の生徒たちと交流をとって、中学2年、そして中学3年にはかなり仲良くなっていた。僕には仲良くなるその1年・2年の生活がポッカリと抜けてしまっていたんだ。友達に話しかけようとしたときにその違和感に気がついた。友達が知らない子たちと話している。それもかなり親しげに。

その時、自意識ちゃんが生まれた気がする。「お前なんかいなくても大丈夫だってよ」って話しかけてきた気がする。だから、輪に入ることができなかった。

かなり悲しかった。小学校まで仲の良かった友達が知らない人たちに取られている。実際はそんなことはないし、自分から気さくに話しかければ良かったんだけど、自意識ちゃんの一言で深い穴に落ちてしまった気がして、その穴からぬけだすことができなくなってしまった。

そこから中学生活は結構キツかった。発言するのが怖い。自分の知らない人たちが自分を否定するのが怖い。だから、うまくアクションも起こせない。そして、そのネガティブな性格が伝わってしまったから、部活の後輩にはかなり舐められていて、ボールをぶつけられることだってあった。その時はむかついたけど、何もしないのが自分にとって一番いいと考え込んでしまって、誰にも相談することもできなかった。

たぶんそれからだと思う。

僕は自分の話をすることが苦手。
自意識ちゃん「お前の話は聞きたくないし、お前の意見は敵を生む」

僕は趣味を持つのが苦手。
自意識ちゃん「お前より好きな人がいるんだから趣味って言うな」

僕は相談することが苦手。
自意識ちゃん「お前の相談なんか興味ないし否定されるよ」

僕は行動するのが苦手。
自意識ちゃん「お前は怠け者だから間に合わないし、失敗する」

全てに自制がかかってしまった様な気がする。

2.今の自分

そんな日々を送ってきた僕だけど、大学の時にすこしだけ変わろうとした。大学はむしろ知り合いから避けたくて、みんながあえて行かない様な場所を選んだ気がする。だから、自分を知らない人たちがいるならうまくいくかもしれないと思って、心機一転でがんばってみようと思った。

そしたら、初めての講義で話しかけてきたやつがいた。

それが今編集している動画でも出演してもらっているセルマーだった。あいつが「となりいいっすか?」とかいって話しかけてきて、オドオドしながらも大丈夫ですよっていって。そしたら、意外と話がおもしろいくらい噛み合って、なんだかんだもう10年以上の付き合いとなった。この出来事がきっかけで、なんだか自分に自信が持てた様な気がして、大学ではセルマー伝いだけど、たくさんの友達に出会えた。本当にあいつを通してのこの経験は今でも自信につながっていると思う。

多分、ここまで付き合ってられるのはきっとテキトーな部分にあると思う。あいつはもちろん色々と考えているだろうけど、意外と返事とかはすごくテキトーで、考えて足踏みしてしまう僕にはないものを持っていたからこそ、ああ、こう言う時はこう答えればいいのねって気を楽に保つことができた。

だから、親にも素直に自分がやりたいことは大学で学んできたことではなく、デザインを改めて専門学校でやってみたいと話すことができたんだと思う。絶対に昔だったらこのタイミングで自意識ちゃんが話しかけてきたと思うから。

昔よりはここには書ききれない様な経験を経て、自意識ちゃんから遠ざかってきた様な気がする。でも、まだ根っこには潜んでいて、思い切った行動や自分の話をすることは苦手だ。

3.とりあえず、やってみよう

いまだに僕は消えきらない自意識ちゃんとの生活を一緒に送っている。少しずつ中学の時に落ちた穴からは這い上がってきている気がする。デザインに対して前向きに考えるためにTwitterでアカウントを作成したり、ココナラで仕事を募集してみたり、前田デザイン室へ入室したり、ギリギリうるさい!と言って、一時的に突き放すことはできるけど、まだ光は見えない。

そんなある日、本当に最近、僕の好きなYouTuber 瀬戸弘司さんとのコラボで元アリ to キリギリスの石井正則さんが登場していた。その時の話が僕の中でグッときたものがあって、石井正則さん自身に興味を持ち始めた。

そして、僕は見つけた。
自意識ちゃんからぬけだせるかもしれない方法を。

それは石井正則のVoicyというラジオアプリの番組タイトルにもなっている言葉「とりあえず、やってみよう」これをみた時、僕の中でビビビビビビビッ!!と何かが走った気がした。

そうか、失敗してもいいんだ。白い目で見られてもいいんだ。
とりあえず、やってみよう。思ったら「とりあえずやればいい」んだ。
とりあえずやるから、嫌だったらやめればいい。
好きだったら続ければいい。

自分が楽しく生きていける方向を向ける様に。

そして、自意識ちゃんには「わかったわかった。でも、とりあえずやってみるよ」って説得させる武器として。立ち向かうことができるんじゃないかって感じた。

4.最後に

僕はこの「とりあえず、やってみよう」の精神で今まで足踏みしてしまったことにチャレンジしていきたいと宣言します。そしたら、いずれ自意識ちゃんから、抜け出せる。いや、むしろ「やったほうがいいんじゃねえのお前」って言わせるように味方につけてやる。

そのためには自分でちゃんと計画をして、無理のない範囲でまずは「とりあえず、やってみよう」と思う。無理して転んだら、そこでまた上げ足取りの様に自意識ちゃんが「ほれみたことか」と話しかけてくるはずだから。

経験を積んで、自分のスピード感をあげることができたらさらに上にチャレンジをしてみようと思う。ただし無理は禁物。挫けない程度にこのぬけだ荘プロジェクトが始動している間に僕は自意識ちゃんに負けない力を身につけようと思う。

だから、僕は自意識ちゃんに出会ったら、この言葉を魔法の様に伝えます。

「とりあえず、やってみよう」

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▲自意識ちゃん

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