【ゆつむの持論】メディアリテラシー編

近年、急速にSNSの普及によって確立された情報社会では、容易にいろんな情報を発信し、手に入れることができます。しかし、大半の人は自分の好きな情報、興味ある報ばかりを欲するようになるのでそれ以外の情報は従来と同じく、学校教育またはテレビや新聞などのメディアなどから手に入れることになります。また、人は何度か同じことを聞くとどんなことでも信じてしまいます。となれば、メディアは都合の良いように情報をわざとゆがませて報道していてもテレビしか見ていない人たちは歪みに気づけません。

そこで僕が考えるには、

情報を得るにあたっては、テレビは見るなと言いたいところですが、テレビを見ることにもメリットがあります。例えば、時間や手間をかけなくても情報を得られます。また、メディア同士の競争もあると思うので、速報を得やすいです。また、同じような情報ばかりに囲まれた社会になると、大きな一つの民意ができて、国民同士の意見の食い違いが少なくなり、人々の困惑をなくせられることができます。これらは決して悪いことではないですが、その大きな意見が間違っていたらどうでしょう。大きな一つの民意とは逆の意見を持った少数派は絶対的地位を持った多数派に意見を述べたとして、それがテレビで報道されるでしょうか。いい方が悪いかもですが私たちは人間なのでそんなことくらい考えればわかりますよね。そう、されないんです。


それでは、この問題はどう解決されるのでしょうか。

一番早い解決方法はメディア側が間違いを認め、真実を報道することです。 
ではわれわれ一個人はどうすればよいのでしょうか。それは、新型コロナウイルスのように明らかに社会的に大きな影響を与えている問題に直面した時に、どれだけ多面的な見方ができて、どれだけ冷静に論理的な思考判断ができるかどうかにかかっていると思います。(←詳しくはまた今度話す)情報社会の今を生きる私たちにとっては、それほど難しいことではないはずです。これはいろんなケースに当てはまり、個人個人が意欲的にその情報を調べたりしない限り、私たちにはテレビやそれを見た人たちからの意見を聞くしかそのことは到底理解できません。

従来ならば、

それ以外の方法として現地に訪問して自分の目で確かめ、実感することが、最も効果的な手段だったでしょう。それは現代でもよい手段の一つですが、今なら自分の指と意欲さえあれば、わざわざ自分の足を運ばなくても十分な情報を得ることができます。もちろん、自分を取り巻くすべての情報を深く調べるのが理想でしょう。とはいえ、それは大変ですよね。ときには他を頼りにするのもよいでしょう。(←詳しくは今度ね)

人は仮に間違った情報であっても何回か聞けば、それは正しい情報だと思ってしまう生き物です。だから自分が今持っている情報の真偽が危うい状態で他の人にそれを伝えることによって、その人からすればその情報は徐々に正しいものになってしまいます。そうしたことが広がると、ときにはあらぬ方向へ行くのは言うまでもありません。そこでわたしたちが守るべきは、話し手との関係に干渉されずに第三者からの目線に立った時に信憑性に欠ける情報はむやみに人に言いふらさないことです。一人ではどうにもできませんが、各々が心がけると、この情報社会の沼にハマっていくことはないと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました。
おかしいとこなどありましたら行ってくれると助かります。