美しく思うこと。

様々な肩書きがある中で、今回はカメラマンとしての自分の生き方について、影響を受けたことについて話そうと思う。
私がカメラを始めた理由は、単純に言うと楽できそうだからという理由だった。
と言うのも、中学校はサッカー部で高校は何か文化系の部活に入ろうと思っていた私にはどこか入り込む隙間がありそうで、遠出するのも好きだったことからちょうど良かった。高校では風景を専攻していて自らモノクロフィルムの現像を攪拌して手作業で現像したりもしていた。当時はまだフィルムとデジタルの転換期で、フィルムカメラの方が主流ではあった。コンデジも800万画素くらいで、携帯電話はガラケーが多かった。iPhone3gsをソフトバンクがちょうど販売し始めたタイミングだったとも思う。

さて、話は逸脱してしまったがその後私は就職し大手カメラ量販店のカメラコーナーにて勤務することとなる。そのタイミングで母親の体調が悪くなり癌で他界。ふと家族の写真が少なかったことに気がつき、人の写真を撮ることの大切さに気がつく。ここから自分が人の写真を撮ることで生きて行くことが始まった。

カメラマンとして生きていると、生活にカメラがあることが当たり前になってくる。自分がDJをしてた頃も、イベントを撮影していたことから、撮影の依頼が来たり、それが仕事となってきたり、気づけばどこを切り取っても私の人生の半分はカメラで切り取られていることに気がつく。

そんな私はほぼ毎日どんな形でも日常的に写真を撮ります。その理由は家系が早死することもあってなのか、は分かりませんが今という時間や仲間、恋人は永遠にあるわけでもなく極めて刹那的なものという認識だからかもしれない。

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