僕が30歳でDJを始めた理由
皆さんはじめまして。
DJ SAKATAです。
DJをやりながら昼は会社を経営しております。
僕はいま(2020年5月現在)31歳です。DJとしてデビューしたのは30歳のときです。
周りのDJは20台前半や、早い方は10代からDJ始めている方が多数(もちろん僕より年上で活躍されてる方もいらっしゃいます)
決してDJ業界では若くない30代からDJをやろうと思ったきっかけを綴っていきたいと思います。
経歴
1988年6月 熊本県で生まれ育つ
2011年4月〜大学卒業後、アパレル業界で働く
2017年8月 アパレル企業を退社
2017年9月 ベンチャー企業に転職
2019年5月 DJデビュー
2019年6月 起業
まず、DJに興味を持ったきっかけから。
僕は22歳のときに西麻布にあるクラブ(踊る方)でアルバイトをはじめた。
アルバイトするまでクラブにすら行ったことがなかった。
なぜバイトしようかと思ったかと言うと、単純に女の子にモテたいと言う、今思うと若い男にありがちなしょうもない理由から。
クラブでのバイトは僕の価値観を180度変えるくらい衝撃的で楽しいものであった。
ここで働いたおかげでクラブが、クラブミュージックが大好きなった。
あまりにもクラブでの仕事が楽しく、このままクラブで働きたいと思うようになった。
このときは大学4年生。すでに内定している会社があったが、本当に断ってこのまま夜の仕事を続けたいと思った。
けれど、僕は内定したアパレル企業への就職を選んだ。
自分の気持ちを押し殺した。理由はいたって単純。
・世間体
・親への心配
大学まで出て、就職せずにアルバイトを続ける勇気がなかった。そのとき一番やりたかったクラブの仕事のはずなのに。
親へ心配をかけたくなかった。大学までいかせてもらって。
実はこのときもDJをやりたいという気持ちも少しあった。働いているクラブの専属DJさんに相談したこともある。
けれど当時の僕は行動力も自信もなく、DJをやりたいというモチベーションはふわっとしたものだった。機材買うのにお金もかかる、というお金を言い訳に行動しなかった。
僕はそのままアパレル業界に就職した。
アパレル業界で働いているときに何度思っただろう・・・。
『またクラブで働きたい』と。
実際にハロウィンやカウントダウンなどの繁忙期にヘルプで何度かこっそり働かせてもらった。
ヘルプで働くことは楽しかったけれど、やはり正社員をやめてアルバイトをする勇気がなかった。
アパレルで働いてるときに、DJをやってみたいと思ったことも何度もあった。
でもそのときいつも思ったのは『でももう若くないし、無理だろうな』
当時の僕は20代中盤。年齢を言い訳に行動をしなかった。自分に自信がなかった。クラブで働く人やDJを見ると、ああいう人生送りたかったと何度も後悔した。
20代後半になって、このままアパレル業界にいていいのかと焦り出した。
洋服は大好き、仕事も嫌ではない。
しかし月々手取り17万の給料、昇給もほぼなし。先が見えなかった。
29歳で6年勤めたアパレル業界を離れた。
次の仕事も、これがやりたいというものはなかった。ただ『安パイに生きていきたい』というネガティブな感情しか僕のなかにはなかった。
実はこの時、クラブ時代お世話になった方から夜の仕事への誘いもあった。
しかし、22歳で就職したときと同様の理由で夜の仕事をやる勇気はなかった。
次の就職先はアパレル時代の顧客の方が紹介してくれたスマホの修理、買取・販売の事業を全国展開するベンチャー企業。
この会社へ入ったことが僕の人生を大きく変えた。
ここのベンチャー企業は社長が強烈な方だった。
社訓が『やりたくないことはやらなくていい』という変わった会社。
ここの社長は超絶にポジティブで、前向き、メンタルの強い方で、そばにいるだけでパワーをもらえた。
この社長と毎日行動を共にしていたおかげで、僕もいつのまにか社長の考えや会社の理念が浸透していた。
環境が僕を大きく変えた。
この会社で起業や会社経営に関することも多く学べた。
僕はこの会社の営業から店頭業務などを一人で行っていた。
入社時にいた営業や店舗のメンバーは全員いなくなっていた。
というのも、この会社は先ほども伝えたように社長が強烈な方で、あるとき急に『社員制度はやめる』と言い出し、個人事業主となった。
このタイミングで、サラリーマン思考のメンバーは辞めていった。
僕と経理の女の子だけが残った。
一人で営業、BtoBの卸し、店頭の修理、接客業務、さらにはFCに加入している方の管理など行っており、本当に忙しかった。
約1年くらい、僕は土日・祝日、連休関係なく、休みなしで毎日朝から晩まで働きまくった。
仕事で成功したかった。がむしゃらにやりまくった。
そして忘れもしない2018年の12月。バイトで新しく入った女の子が一週間で飛び、僕の業務はより一層多忙を極めた。
完全に疲弊していた。そのときふと思った。
『俺、やりたいことできてんのか?』と。
仕事で成功したい一心でがむしゃらに働いていたが、これは俺のやりたいことなのか。
俺のやりたいことはなんだ?
このときいろんなことを考えた。やりたいことなんだろうと思ったとき、やはりDJが頭をよぎった。
でも今このタイミングで始めるのか?と自分に疑問投げかけたが、
ここでまた先延ばしにしたら、一生やらないことになると思った。
とりあえずアクションを起こそうと思い、DJスクールを検索した。
トップにヒットした渋谷にあるDJスクールのHPをクリック。
体験レッスンもやっており、とりあえず行ってみようとすぐに申し込んだ。
もうこの時点でDJをやりたい気持ちはほぼ固まっていた。
そして後日体験レッスンを受けた。入会金、レッスン費用合わせて10数万。
正直、そのとき手元にはほどんどお金はなかった。
でもお金はなんとかなるし、お金でやらない言い訳はもうしたくない。
その場でクレジットカードを切って僕はDJスクールに入会した。
そこから僕のDJスクール通いが始まった。
DJのレッスンはとても楽しかった。毎回行くのが楽しみで、上達していくのが嬉しかった。
3月にすべてのカリキュラムを終え、クラブでのデビューが決まった。
僕はDJスクールに通いながら、今後どうやっていきたいか色々考えた
・これから継続してDJを続けていきたい
・これを趣味で終わらせたくない
という思いが強くあった。
現在日本で職業DJで食っていけるのは本当に一握り。
すぐに収益化できるものでは無い為、DJを続けていくためにお金と時間は絶対必要だと考えた。
クラブで朝までDJやって、次の日寝ずに仕事いくのも絶対に嫌だった。
そのとき僕は起業を考えた。このタイミングで昼の仕事で起業の支援してくれる社長さんもいらっしゃって、
これまでやってきた経験を生かし、僕は電子機器全般の買取・販売・卸の会社を起業することを決意。
色々なことが奇跡的なタイミングで重なり、僕は起業することができた。
DJ事業はすぐにはマネタイズできないが、ゆくゆくは収益化していきたと思い、会社の定款にもDJ事業のことを盛り込んだ。
2019年5月1日、僕はDJ SAKATAとして六本木のクラブでデビューした。
22歳のころからやりたかったことを、ついに実現できた。
続けて2019年6月3日、会社を設立。
とりあえずDJは毎週現場に出ることを目標に立て、そこから1年間毎週現場に出続けた。
ありがたいことにいまでは渋谷のjumanji33というクラブに毎週木曜レギュラーとして出させて頂いている。
全てはDJスクールに体験レッスンを申し込むというアクションをとったおかげである。
人間アクションさえ起こせば大抵のことは実現可能であると実感した。
僕は30歳でDJを始めてよかったと思っている。
若い頃にDJをはじめていたらおそらく趣味で終わってしまっただろう。
しかし、ベンチャー企業でがむしゃらに働いたおかげで、DJを事業として捉えることができ、起業のきっかけにもなった。
いまは昼の事業もDJも、自分の好きなことばかりやれていて毎日が本当に幸せ。
これからも人生をかけDJと会社経営を楽しみながらやっていきたい。
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