戦争から改めて、正しさについて考えさせられた話
今回はウクライナとロシアの戦争を、本ブログのテーマである人と組織の観点から書いてみたいと思います。
「罪もないウクライナの人が殺される」ということが起きています。
平和ボケであることは否めませんが、現実にこんなことが起きるのだと、私はどこか信じられないような気持で最近のニュースを見ています。
今回の戦争によって私は改めて”正しさ”について考えさせられました。
正しさとは曖昧なものです。決して誰にとっても唯一の、揺るがないものではありません。冷静に現状を見つめ、政治的な力学や利害関係から容易周到に、いかようにもつくられていくのだなと思いました。
また、正しさは人の感情に蓋をするよい道具です。
戦争をするためには、感情に蓋をして、論理を通すということが必要です。
ウクライナの解放のために、軍を派遣しているのだという正しさを信じた人は、ある種、心の痛みと向き合わなくて済みます。結果、非人道的な行為が可能になります。
人が死んでしまうような戦争と比較するのは怒られるかもしれませんが、身近な職場でも同じメカニズムはあります。
たとえば「ビジョンや、売り上げ目標を達成すべきである」
また、「部署や個人の役職として期待されることはすべきである」
このような正しさを持つことが、時に対立をエスカレートさせていくことがあります。
正しさは非常に取り扱い注意なものだと思います。
それによって組織が悪化し、結果としてダメになっていくシーンも見てきました。
正しさは一つと考えるのは非常に厄介だと思います。
それが問題解決を遠ざけることがあります。
その意味で、一つの正しさが簡単に通らないように、誰かに権力が集中しないガバナンス体制を維持することはとても重要なことだと思います。その人が言うから正しいという状態になると、組織は道を間違えるリスクが高くなります。
たとえばカルロス・ゴーンのように、そしてロシアのように、優秀なリーダーは短期的には組織を成功に導くことがありますが、長期的には組織を危険にします。優秀であるかにかかわらず、誰かに権力が集中することは避けたほうがよさそうです。
もう一つ、正しさを中心としたコミュニケーションの中で、失われがちな感情を伝え合う機会をつくることも大事です。
正しさを一回脇において、ただただ、実は思っていたこと、感じていたことを伝えあってみるということができたら、閉塞感のある関係性が変わることがあります。相手を理解すれば、捉え方が変わるからです。
戦争は起きた時になんとかするのではなく、普段から起きないようにメンテナンスしたいものです。日常の職場でのコミュニケーションもその意味で実はつながっていることもあるように思います。
また来月もよろしくお願いいたします。
2022/4/30 VOL138 sakaguchi yuto
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