わたしの行動が作品



自分が今、選択している、好きなこと。
それに向けて舵を切っているのですが、

何故、それをしたいのか、それが好きなのか、ということを分析してみたら、
それは、前世でも同じことをしていたからだということがわかり、納得したのが
去年で、それから特に、それが好きになったように思います。


しかし、昨日ですが、
ふと、ある考えが降りてきたのです。

それは、

「あなたのこだわり、
あなたが制限していることがあるから、
あなたがそれにこだわって
それを「好き」だと思っているに過ぎない。」


前世からやっていたことだから、今もやりたいんだ〜
と納得していたのに、
それは、ただ あなたが制限しているに過ぎない、
と言われたということ。

人は何かとこじつけて何かをやりたがるものですが、
そんなことはあまり重要じゃない。

目的や意味を考える必要もなく、
ただ、その時にやりたいことをやっていればいいんだよ、ということですね。


なんの脈絡なくていい。

共通点を探さなくていい。


探す時点で制限してしまうから。

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わたしは、自分は何ものなんだろう?とたまに考えるのですが、
いつも答えが出ません。

それは、形がないからなんだろうな。

何かに収まっていることが好きというだけで、
その何かは、わからないくらい様々あります。

形がないから、何か創り出すことが苦手で、
強いて言うなら、わたしそのものが作品です。

わたしの人生が作品というようなカッコいいものでもなく、わたしの行動が作品です。


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