偽りのじゃあね。
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偽りのじゃあね。

 今日の最後の授業がいつもより15分早く、17時15分に終わってから、前の席に座っている彼女と話がつづいた。彼女とは2年前に大学で知り合ってから授業が被ることが多いが、これまでそれほど込み入ったプライべートの話をしたことはなかった。授業が終わると、特に用事もないのに僕は足早に教室を去ってしまうからだ。しかし、今日は何かが違っていた。授業が早く終わったために、どこか余裕を感じて帰路を急がなかったのだろうか。そして彼女と話が弾んでからは、アルバイトのこと、授業のこと、教授の噂などいろいろと語り合った。
 周りの生徒が帰り支度を整えて教室を出ていくのを横目に話をしながら、僕(たち)も出なければと急かされる。話をしている彼女も目で「そろそろ出ようか」と、そう訴えていたように感じた。この辺の微妙な駆け引きが僕はおそらく苦手である。話を切り上げるタイミングや方法が分からないし、仮に話を切り上げて別れを告げてからまた帰り道で再会してしまったら恥ずかしい。かといって、「帰ろう。」などと誘って、「ごめん、図書館によってから帰るから。」などと断られるのは僕にとってはとても恥ずかしいのである。普通の人でいう、好きな異性に告白をしてふられた時の恥ずかしさと同じレベルの羞恥心を僕はこのときに感じるであろう。これはあがり症というのか、少し違う気もする。なのでこういった場面では、ありとあらゆる気を遣う。これには相当なエネルギーを消費し疲れてしまうので、僕は普段何も起こらぬうちに教室を去っているのかもしれない。
 しかし今日は、自然な会話の流れでお互い同じタイミングでリュックにペンケースをしまい、チャックをしめて肩にかけた。そして僕は少しいつもより歩幅を狭めてゆっくりのペースで二人一緒に教室を出た。いや、これはきっと彼女の方が僕に合わせてくれていたに違いない。彼女の方が入り口から見て奥の席に座っていたし。もしも僕の方が奥の席に座っていて彼女の後を追いかける形になっていたら、少しタイミングを開けてから教室を出たかもしれない。
 僕らは大学を出て、駅の方に向かって歩き始めた。彼女は確か電車で大学まで通っていることは知っていた。僕の家も駅の方面にあるが、僕は大学の近くに住んでいるため電車には乗らない。しかし僕は自転車で通学しており、駅とは反対側、大学の裏側に自転車を止めていた。僕は頭の片隅に自転車の存在を思い浮かべながら、彼女と同じ方向へと歩んだ。自転車からはどんどん遠ざかっていく。そのまま二人は駅の改札まで歩いて、「俺こっちだから、じゃあね。」と言って別れた。僕はたったいま歩いてきた道を引き返し、二人の残像を辿るように戻る。サスペンスドラマの犯人がアリバイ作りのために偽装工作している時のような気分であった。
 言っておくが、僕は彼女に気を遣っていた訳ではない。本心でもっと彼女と話を続けたいと思ったのだ。先ほどはコミュニケーションが苦手だというようなことを言っておきながら、へそ曲がりと言われるかもしれないが、人と話すことはむしろ好きなのだ。そして「誰かと一緒に帰る」ということは特に好きである。僕が極度の寂しがり屋だからだ。
 大学まで戻ってきた。自転車のチェーンロックを外してまたがる。家に向けて、いつもよりも少し早いペースでペダルを回した。大学を出るとき、ちょうど授業終了の17時30分を告げる鐘が鳴った。

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板前見習いの大学生の日常の断片をエッセイに綴り発信。アナザースカイはバングラデシュとインド。