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今、ここを生きること【3.11から10年】

目の前の人に「死にたい」って言われたら
僕はどうするべきなんだろう

1.2011.03.11 14:46

10年前の3月11日
皆さんはどこで何をしていましたか?

僕は、その時小学校5年生
でも、家にいました
インフルエンザのために学級閉鎖になってしまい
インフルじゃなかった僕は家でゲームを謳歌してました

地震が起こったとき
それは僕の小学校生活の中で、明確に覚えている数少ない光景の一つ
普通にゲームしてました、パワプロ
名古屋には横に長い周期の揺れが来て
「ちょっと気持ち悪いな...」って思うだけでした

事実を知るのは、それから1時間後になります
ゲームに飽きた僕は、テレビのニュースを付けました
その瞬間、目の前はゲームのような光景が広がっていた
「なんか大変なことが起こっている」と
子どもながらに、直感で思いました

僕の記憶はここまで
この後、震災とは少し離れた生活を送ることになります

2011.03.11 それは、誰もが忘れられない時間

2.2016.03.11

高校1年生の春
マイプロで悩んでいた頃
正直、東北が羨ましかった

東日本大震災という強烈な原体験を持っている分
人々のエネルギーは、すごいものだった
それは、きっと、高校生も

やりたいことなんてなくて
困っていた僕が
原体験を欲しがっていた僕が
いろんな人がサポートして
やりたいことが見つかっていて
そんな地域を羨ましがっていた

本当は、そんなことするべきじゃないのに

僕の苦しみ以上に、現地の人は苦しんでいたのに
自分の苦しみに精一杯で、人のこと考えられていない
そんなこと当時からわかっていて
そんな自分と向き合って、さらに苦しくなっていたんだ

2016.03.11 それは、罪の羨望をしていた時間

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(そういえば、この時骨折してましたね)

3.2019.03.11 14:46

大学1年生の夏に、東北に初めて行った
南三陸と、浪江町
南三陸は街をツアーしてもらった
「ここがかさ上げした土地で」
「本当の町はもっと低くて」
「志津川中にみんなで逃げ込んで」
「ここが全部仮設住宅だったんだ」
初めてその地に足を踏み入れることで感じる思い、悲しみ、苦しみ
でも、泊まった旅館のご飯はすごく美味しくて、幸せで
オレンジの気持ちとブルーの気持ちが混在した不思議な夜を過ごしました

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(志津川中からみた南三陸町)

浪江町は、当時はまだ全村避難が解除されたばかりだったし
立ち入り禁止区域もあった中で
天気もあって、どんよりした空気が流れていたことを覚えています
道を間違えて国道6号線を走った時
ファミリマートの中が雑草で生い茂っているのをみた
あの時の光景は、忘れられないものでした


大学1年生の春は、当時付き合っていたパートナーと旅行していました
京都の祇園でブラブラ歩いていたことを覚えています
その直前に気仙沼と女川に行っていたこともあり
自分にとって3.11は重要なものでしたが
京都の街でそんなことを気にしている人はいなくて
自分だけ、一人だなぁって気持ちを抱いたことを覚えています

2019.03.11 それは、孤独を感じた時間

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(2019に見た花)

4.2020.03.11 14:46

去年の今頃は、SOKOAGE CAMPのインターンしてましたね
岩井岬で、その時間を迎えました

底上げの人にはそれはもう大層迷惑をかけて
でも、こんな自分に向き合ってくれて
すっごく、幸せな場所なんだなって感じます
そして、そこに甘えていてはいけないな、とも

何より、震災が起こった時間にそこにいたという事実
昨日まで元気だった人が言葉が少なくなったり、寝込んでしまったり
1分間ただただサイレンが鳴っていたり
何も関係ないはずなのに、ソワソワしてしまったり...

2020.03.11  それは、異世界に誘われた時間

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(去年のキャンプの様子)

5.2021.03.11

震災から10年ということで、各メディアがいろんな特集を組んでくれている
毎日、Yahooのトップニュースには震災を経験した人の言葉が載せられる

正直、ちょっと、苦しい
その言葉を聞くのが
その言葉を目にするのが
ただただ苦しい、逃げたい
「死」が身近に感じられる

2021.03.11 それは、「死」を感じる時間

そして、「死」を感じる時間は、もう一つ

6.今、ここを生きるということ

そして、冒頭に戻る






この間、友達が亡くなったと聞きました
死因は、自殺
自分にとって、始めての経験でした
今、この文章を書いていいのかも悩んでいるし
手が、身体が、震えているのを感じます

とある人の言葉を借りれば、その人は
「その明るさと行動力は本当に素敵で、この人にはきっと自分なりの想いをもって社会を輝く未来へ導ける人になる」
そんな人でした

前に会った時はそんな素振り全く見せなかったのに
というのは、こういった時の常套句ですが
本当に、その言葉が出てくるんだな、と
痛感させられました

彼女は最期どんなこと考えてたんだろう
どんな顔で、どんな痛みで亡くなったんだろう

って思いでぐるぐるしてる
胸が締め付けられる
いや、比喩表現なしで


望んでいる生命、自分で断つ生命
どれも生命には変わりない
それが、自然災害による死か、自分で断つ死か
それとも、人為的ミスによる死か、病による死か
それらが積み重なって、「死」が身近にある

「いつ死ぬかわからないから、今を必死に生きなさい」なんて綺麗事は言いません
僕も、できてないし、「必死に生きなきゃ」って苦しくなっちゃうから
でも、今、ここを生くものとして
何かすべきことがあるんじゃないのかなとは感じます

それは全力で探しに行きたい
そしたら、少しは満足した生にできるのかな、って感じます

何が何かはわからないけど
何か満足したいなって思いが出てきました
それを、追い求めていこうと思います

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