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「ムショウの愛」

   旧友が二十五の誕生日を迎えるに当って、思い出したことが在る。何年前か友の遠征に差し当たり、宿無きを見、我が六畳に招いた時のことだ。安酒を煽り夜更け迄、様々な話をした。粗末な布団は私と彼との座布団の役を承った。家族のこと、興じている音楽のこと、女性のこと、自分の生きるに差し当たり大事にしていること。素面では話せない、話すきっかけもないことを日本酒は仲人となって円滑に取り仕切って呉れた。
    取り分け音楽のことという大きな題目には、赤い目をかっ拡げ大いに盛り上がった。ギターの音色の話、歌い手とギター伴奏の共存、果ては協力の仕方、ギターへの拘りなど、音楽に熱狂的な彼は常に進化を求めていた。時に拙い私の持論は、其の肯きがメモを落とす様な一言一句の叮嚀な拝聴に気を遣った。其れ処か同年の仲とは思えぬ程、謙虚に聴いて呉れた。恐らく眼差しの行く末は、妥協無き己の純粋な表現だろう。何処か常人には分からぬ境地を、暗闇を、自らの力で突き進まんとする彼には多大なる敬意と幾分かの嫉妬を抱かずには居られなかった。然し乍ら、彼は私の言った(今想えば失言かも知れぬ)一言を三年余月覚えていて呉れたのである。
   一夜の宿貸しの際、他人と自分、と云う題目になった時、見栄張りの私は、「無償の愛」云々について少々出しゃばったことを口走った。「大抵の事は他人を自らの感情が邪魔すること無く許し、受け入れられる」と。「無償の愛を持つことで他人を許し、果てはどんな人をも受け入れられる」と。外からの聞こえは素晴らしい様な胡散臭い様な感じがするだろう。其の薄刃は意外にも彼の心に質濃くへばりついていた様で、三年程の時を超えて飲みの席の話題に上がってきた。
   私自身定かでは無い記憶を以て反芻するのは迚も恥ずかしいことだった。私の「無償の愛」は三年越しに私に迫ってきたのだった。勿論当時の未熟で高慢な考えを尚持っている訳でも無く、「其の様なことは覚えていない」と言いつつも彼の話を飲み込んで演者の様な合わせをした。
   然し友よ、今想うことを君に伝えたい。私が発した美辞は夢の様な幻であったと。私の今思う「無償の愛」は母親が子に与え給う様な純粋なものでは無しに、「無傷の愛」であったことを(条件付きの愛であったことを)伝えたい。「無傷の愛」、即ち自分自身が傷つかぬならば見返りを求めず相手に尽くす、と云う様な地に足の着いていないものに過ぎないのだ。雨宿りする者に二本持っている傘を一本渡すに過ぎなぬ愛なのだ。今迄、愛を語っていたことを恥じると共に偽善を在り在りと示したことに悔いるのみである。人間の生々しさと、人間賛歌を教えてくれたのは君である。どうか此からも真っ直ぐな眼差しで以て人間を描いていって貰いたい。

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