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プログラミングが好きでIT業界に入ったわたしがプログラミングから離れるようになるまでの幾星霜。

高校生の時に課外授業ではじめてパソコンに触って、プログラミングの楽しさを知ってから、大学時代も含めて学生の頃はプログラミングにのめり込んでいました。バリバリとプログラミングをやりたくて、IT業界にはいりました。私は就職氷河期で、かつ最終学歴が院卒(マスター)ではないのに、よく内定がもらえたものです。

業務開発での違和感

ハードウェア部門に配属となったこともあり、ソフトウェアというよりかはハードウェア寄りな仕事でしたが、いまでいう組み込み開発です。

単なる世間知らずなだけだったのですが、プロの開発ではそもそも「コードを書く」という作業をほとんどしないことに大変驚きました。たとえば、開発期間が一年であれば、コーディングしているのはそのうちの2週間だけ、といったところです。

ここで気付いたことは、学生時代でやってきたこと、社会人が趣味で行うプログラミング(いわゆるサンデープログラミング)は、業務開発との乖離がかなりあるということでした。所詮は「おままごと」レベルだったのでした。

コーディングは外注の仕事という風潮

バブルがはじけて日本の景気が年々落ち込んでいく中で、2008年のリーマンショックでさらに下落していきました。それまで、実はほとんど外注さんといっしょに仕事をしたことがなくて、プロパーだけによる内製開発でありました。

企業の売上が落ちてくると、人件費削減が加速していきます。そして、このあたりから外注の活用が活発化していきました。プロパーは要件定義や機能仕様の策定までやって、詳細設計以降は外注にアサインする、といった流れができました。

現実としてはそれでも人手が足りないので、プロパーも詳細設計からテストまで全部行う作業も持っていました。

しかし、実体としては仕様策定や人の管理(マネジメント)がだんだんと主体となっていきます。自分の立場が偉くなっていっているわけですから、当たり前といえば当たり前のことです。

マネジメントへのシフトが加速

グループ会社に出向してからは、マネジメントがメインとなっていきました。もはや、ほとんどコーディングをしないのに、レビュアーをやっていたので、それもちょっと変だなとは思っていました。もっとも、誰でもレビュアーができるわけではないので、単なる人手不足ともいえます。

この頃になって学んだことは、人をコントロールすることができれば、より大きな仕事ができるようになるということです。他人に使われるよりも、他人を使う。

自分がやってもできるけど、誰かにやってもらえれば、その浮いた時間を使って自分にしかできない仕事ができるようになります。

そして、あれほど好きだったプログラミングは仕事でもやらなくなっていましたし、いつの間にか趣味でもほとんどやらなくなっていました。

ライフワークとして残ったもの

Linuxカーネルの探求は継続するかどうか迷っていたのですが、引き続きやっていくことにしました。そして、その成果は書籍という形でアウトプットすることに決めました。

Linuxカーネルの本は結構売れるんです。需要があるなら、手間暇かけて探求しがいがあるというものです。

独立してからのプログラミング

独立してからソフトウェア開発の仕事もやるようになりましたが、前職時代よりもバリバリとプログラミングしている感じがあります。なんだかんだいって、IT業界は人手不足。現場では「手が動かせる」人を常に欲しているようです。

ここで学んだことは、プログラミングというのは手に職をつけるということ。専門性があれば、年齢関係なく、仕事をしていくことができることが証明されました。

プログラミング、やっててよかった!


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